名古屋城本丸御殿の復元工事

Dsc01160  グランパスが優勝した。名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)がことさら輝いて見える。

 名古屋城は慶長15(1610)年、徳川家康がいわゆる「清洲越」と言われる清洲城からの遷府を決定し、加藤清正福島正則らに命じて普請、1612年に完成した平城である。

 1615年には本丸御殿も完成し、その後、徳川家から明治後には陸軍省、宮内省、名古屋市と所有者が移管しつつ、その偉容を誇ってきた。しかし昭和20(1945)514日、名古屋を襲った大空襲とともに被弾・炎上。金の鯱もろとも灰燼に帰した。

 その後、天守閣は市政70周年事業の一環として昭和34(1959)年に鉄骨鉄筋コンクリート造により再建されたが、本丸御殿はそのままとなっていた。

 しかし平成に入った頃から名古屋財界等も巻き込んだ復元運動が繰り広げられた結果、20091月、いよいよ復元に向けて工事が着手された。復元見直しを公約にした河村市長の当選により、一時、復元工事の前途が危惧されたが、20108月復元継続を発表。現在、平成25(2013)年の第1期工事が鋭意進められており、全体としては第3期まで、平成30(2018)年の完成・公開をめざしている。

 今回、愛知建築士会主催により見学会が開催されたので参加した。名古屋市の担当職員及び工事請負業者の現場担当者から復元までの経緯や現場の苦労などを聴講。その後、素屋根下で進められている復元工事現場と城内の一角に設置された木材加工場・原寸場を見学。これらは一般入場者にも曜日等を限って公開されている。

 本丸御殿復元を求める運動は、元上司が積極的に関わっていたこともあり、かなり初期から知ってはいたが、今回説明を聞いて、復元したいと思う気持ちがよく理解できた。

 一つは、本丸御殿の格式の高さ。現在、本丸御殿が現存するのは、高知城川越城など数少ない。熊本城は2008年に復元完成したが、名古屋城本丸御殿は規模・格式ともにこれらの上を行き、現存する御殿では二条城と同程度のレベルだという。

Dsc01165_2  そして復元機運が盛り上がったもう一つの理由が、建物が終戦前まで残っていたことから、文献や古写真、実測図などが数多く残され、史実に忠実な復元が可能であったこと。例えば、二条城を越えるレベルの御殿は江戸城の本丸御殿は大政奉還の直前1863年に火災で焼失、復元に足る史料は残っておらず、名古屋城のような復元は不可能だという。

 レベルの高さ、そしてそれが史料的に可能な唯一無二な御殿であること、さらに宮大工などの伝統的技能者の減少傾向が拍車をかけ、今こそ復元工事をという機運が盛り上がったと言える。

 さて、史料が残されているとは言え、復元工事である。通常の文化財の改修工事であれば文化庁が担当するが、この工事は名古屋市が施主である。文化庁の外郭団体である文化財建造物保存技術協会に実施設計を委託、建築基準法3条適用除外規定を適用し、史料に基づいた材料・工法により復元工事をしている。

 木材は木曽ヒノキ、屋根は柿葺き、金物は用いず、仕口等は手刻みで加工し、組み上げていく。現場担当者が言うには、文化財工事であれば数年前から伐採・乾燥された木材が支給されるのが通常だが、今回の工事は請負業者が調達する必要があったが、当時のような長径木の木曽ヒノキを入手することは非常に困難だったと言う。

 伝統的工法という面では、着工後、名古屋工業大学の先生から、「背割り」の実施と、柱と基礎の固定方法について疑義が出されている。「名古屋城本丸御殿ホームページ:本丸御殿復元工事に関する報道について」に、この問題についての当局の見解が示されているが、材木が支給材でなく、工期が予め定められていたという点がその背景にある。よって、この見解は極めて妥当なものと思われた。もっとも今回はその当局側からの説明しか聞いていないので、反論もあるかもしれない。

Dsc01166_2  柱と基礎との固定方法についても、江戸時代にはクレーンはなかっただろ、というのは言いがかりのような気がしてならない。当時は石場立てだったわけだから、金物で補強するよりは、柱芯にボルトを仕込む方が適当だと思う。

 また、特に問題になっていないようだが、柿葺きの材料は本来サワラであったが、材料が集まらないため、今回、スギに変更したと言う。耐久性では多分サワラの方が上だと思うが、定期的に補修・葺替えをするのであればどちらでも支障ないということか。ただし、補修・葺替え経費が将来的に負担になる恐れはある。本丸御殿全体の建設後の維持管理費はどう考えているのか、現時点であまり詳らかではないようだが。

 本丸御殿自体は享保13(1728)年に、維持管理等の都合で柿葺きから瓦葺きに変更している。この点について市担当者は「御殿がよく利用されていた創建当時に戻す」と復元の意義を強調されていた。それはよく理解できるが、そのうちに維持管理の都合で瓦葺きに変更される可能性もなきにしもあらず。もっともそういう順を踏むこと自体が歴史により忠実という言い方もできる。

Dsc01168  さて工事現場であるが、まだ玄関棟の屋根組みが終わったところである。それにしては非常に大きなもので、第1期工事分だけでも、この数倍の規模になる。全体が完成したらその規模の壮大さはどれほどのものだろう。小屋組みの横に土壁用の泥舟が置いてあった。案内者に聞いたところ、土は各務原や関のものを使用。ワラを混ぜて7ヶ月ほども練り込み、十分粘りが出た土を使用しているとのこと。土にもこだわっている、ということ。

 木材加工場や原寸場も見た。確かに木材の径は大きい。また手刻みで加工している点も興味深いが、それ以外は見慣れた木材加工場と大きな違いはない。しかしこうした状況が常に公開されているというのは意義がある。もっとも私たち以外の見学者は皆無だったが・・・。

 名古屋城の入場料は1500円だが、1年有効の年間パスポートは2000円で購入できる。年間パスポートを買ったらと同僚には言われたが、今回は遠慮した。全部が完成するまでにはまだだいぶ時間がかかる。年に1回位、定期的に工事の進捗状況を見に行くのも面白いかもしれない。いずれにしても完成すれば「どえりぁ~」建物になることは間違いない。河村市長好みだろうなあと思う。