ニュータウン再生

 筆者は大阪の都市計画系研究機関において長年にわたり千里ニュータウンの変遷を見守り研究を続け、退職を機に大阪大学大学院に入学。本書はそこで提出した博士論文をベースに記述されたものである。現在、NPO法人「千里・住まいの学校」の代表理事を務めるなど、引き続き千里ニュータウンに関わり続ける千里ニュータウンのエキスパートである。

 博士論文らしくきちっとした構成と調査をベースにした厳密な筆致で書き進められている。同じ事象を右から左から前から後ろからと繰り返して記述されていることも多く、読み物としてはややうるさい感もあるが、専門書としてはしっかりしている。

 筆者の関心は「住環境マネジメント」である。これを流行りのNPO活動や市民活動だけに着目するのではなく、第1部ではこれまでの住環境保全活動を振り返り、第2部では行政の取組をまとめた上で、第3部で「新しい公」による住環境マネジメントとして新しい動きや今後の方向性をまとめている。第3部については今の時代、ある意味当たり前であり、また千里ニュータウン独自の歴史や環境が影響することではあるが、第1部・第2部をきちんとまとめている点が好感を持てる。

 住民による住環境保全活動が当初は環境保全のための反対運動が主であったものが、次第に高齢化等に伴いより使いやすい環境への変更や創造を促すものに変化していき、またその過程で住民相互の意見対立も生まれている状況が興味深い。

 また行政の関わりも変化している。当初、大阪府が設立した千里センターは廃止され、地元市、公的住宅管理者(府・UR・公社)、市民・住民等が主体にならざるをえなくなってくる。ニュータウンと言えども市の一部として扱うべきだという地元市の意向が次第にニュータウンの問題に直面せざるを得なくなってくる状況も興味深い。ただしその必然性が本書で明確にされ、私自身が納得できた、というところまでは至っていない。

 私自身、高蔵寺ニュータウンに居住し、様々な立場でまちづくりの場に立ち会うこともあるが、未だ明確な役割分担の結論に至らない。千里ニュータウンでは民間分譲住宅の建替がまず進行し、その後公的賃貸の建替が話題になり始めている状況のようである。高蔵寺ニュータウンに限らず名古屋圏ではまだ民間マンションの建替は大きな流れにはなっておらず、一方で公営住宅を中心に中層住棟の建替が一足先に進められているというのが現状ではないか。もちろん高蔵寺ニュータウンにおいては、社宅の取壊し・売却と民間マンションの建設が一時広く進められたが、景気低迷とともに停滞している状況である。

 ニュータウンの再生と経済動向は密接な関係があり、物的状況や入居者の状況に応じて、経済動向を踏まえた更新や再生が進められる必要がある。そういう意味では千里ニュータウンの状況は先進的な事例にはなっても、それを真似ればいいというものではないのは明らかだ。千里の状況を参考にしつつ、個別のニュータウンでは団地ごとの、時代ごとの状況を踏まえた再生の道を探していく必要がある。そのためにも十分参考になる本であった。

●年数が減るごとに住民の要求が受容されにくくなっているのは、当初の計画における理念や内容が住民の意識から薄れることや、80年代に始まるいわゆるバブル経済への移行に伴って開発・建設のポテンシャルが高くなり、これが住民の意識や要求を凌駕したためと推測される。(P37)

千里ニュータウンにおける住環境上の問題は、これまで住宅や施設の建設や再整備を「する」ことに起因したが、高齢化の進展に伴う問題は、居住者が住み続けや住み替えが「できない」ことに起因する新しいタイプのものである。(P75)

千里ニュータウンは「変化しない骨格」と「変化に対応できる宅地」を備え、将来に向けた都市の「持続性」に対して「柔軟性」を備えた街であったとも言える。(P142)