建築史から何が見えるか

 同時に発行された「建築史に何ができるか」は、平戸等での町並み保存の活動や研究を中心に書いた論文やエッセイを集めたものだったが、本書は建物単体の保存や歴史を巡って書かれたエッセイ等を集めたものである。

 第1章の「建築史を語る」は、日本文化と古建築などに関わるエッセイが集められているが、第2章「数寄空間を語る」、第3章「建築の用語を考える」、第4章「建築課を語る」はそれぞれ特定のテーマに沿って書きためたものが集められている。

 中でも、第2章「数寄空間を語る」が面白い。中でも「修学院御幸記」は霊元法皇修学院離宮への御幸の記録を解き明かし、離宮がいかに使われてきたかを示しており、興味深い。以下に引用したとおり、「如何につくられたか」と同程度に「如何に使われたか」は建物を見る際に重要な視点の一つだ。

 読み終わって、「建築史から何が見え」たのか。その一つが、建物を形と美からではなく、用の視点から見ること。これこそが、本書を読んで建築史から見えてきた建物のあり方、造り方であった。

●日本人が、自然を対峙し克服すべきものと考えず、共存すべきものとして認識してきたことがよくわかる。そのための生活上の知恵と工夫を、先人たちは積み重ねてきた。住居は、その生活を包むものである。柱と梁で骨組みをつくり、建具を多くして開放的にした日本の住居は、その生活にふさわしくでき上がったのである。(P023)
●庭や建築の素晴らしさはさまざまに語られているが、その使い方はほとんど不明のままにされてきた。・・・見るだけのものではなく使うものだった以上、使い方に触れずに価値を論ずるのは片手落ちである。使い方は形に残らない。残らないから見えない。見えないから無視されてきた。見えないと言えば、もう一つ、今はなくなってしまったために見えないものもある。これもやはり忘れられてしまう。(P142)
●江戸は大火の多い町であった。・・・二百年で二十一回、平均十年に1回は大火があったのである。一つの町が焼ける程度の火事は、このほかいくらでもあっただろう。火事だけでなく地震もあり、洪水もある。家が十年二十年と長持ちするとは、江戸の町人は、考えたくても考えられなかったであろう。「宵越の銭は持たねえ」という江戸っ子の啖呵は、その日暮らしの貧しさを示すと同時に、火事が多いため、貯蓄の習慣が身につかなかったことを示してもいる。(P182)