可児市桜ヶ丘ハイツの住民主導のまちづくり

 「各務原の景観まちづくり」を見学した後、続いて可児市桜ヶ丘ハイツに向かった。ここは、住民主導で地区計画の策定や様々なまちづくり活動が展開されており、今期の都市住宅学会で学会賞を受賞することとなった地区である。推薦をされた名城大学の海道先生の案内により、まちづくり協議会の副会長である河崎さんにお話を伺い、地区を見学させてもらった。 Imgp6074

 桜ヶ丘ハイツは、不二企業(株)という民間ディベロッパーが開発を行った、計画面積300ha、1973年より入居が開始され、現在の人口が約9500人の大規模戸建て住宅地である。企業の方針により、60〜100坪とゆとりのある敷地、芝生舗装の歩道、自然石積みの擁壁など非常にレベルの高い住宅地開発が行われ、開発途中には私も見学に来たことがある。しかしその後、開発途中で企業が倒産。未着手の土地が競売にかけられ、今後の動向が非常に不安定な状況でもある。

 1997年に開発企業が経営難から近隣センターにパチンコ店の誘致をしたことから、住民のまちづくり活動が始まった。最初は「桜ヶ丘ハイツのまちづくりを考える会」が1998年に発足し、10名ほどの有志で定例の勉強会が始められた。その後2002年に「まちづくり懇談会・桜ヶ丘」となり、「桜ヶ丘ハイツまちづくり協議会」が発足するまでの4年半、ほぼ2ヶ月に1回のペースで会合が開かれ、地域の様々な問題を議論・検討していった。

Imgp6062 この間、基本的に役員が単年度任期である自治会の中に、年度を越えた活動を行う地区計画プロジェクトチームが設置され、地区計画の策定が検討された。もともと桜ヶ丘ハイツのうち、桜ヶ丘と皐ヶ丘の2地区は開発業者により建築協定が定められていたが、その後地区計画が都市計画決定された。1993年から入居が始まった桂ヶ丘は、当初より地区計画が決定されていたが、プロジェクトチームにより見直しが検討され、2007年に改訂された。改定後には、近隣センターの用途制限の他、フレンドリー・ガーデンという沿道1mの植栽規定などが定められている。

 「桜ヶ丘ハイツまちづくり協議会」には、移動支援、集う場つくり、開発計画の各視点からまちづくり検討と活動を行う3つの部会がある。移動支援グループでは、2008年1月から、可児市及び多治見市内を範囲に、会員制の移動支援活動を始めた。またお休み処担当では定例的にお休み処を開設し、お茶・お菓子とおしゃべりなどの交流会を開催している。 

Imgp6068 現在、桜ヶ丘ハイツで最大の課題は、欅ヶ丘問題である。桜ヶ丘、皐ヶ丘と桂ヶ丘の間に横たわる約70haの欅ヶ丘地区は、開発企業が倒産後、競売にかけられ、土地ブローカーの所有になっている。一時は大規模ショッピングセンターという話もあったが、まちづくり協議会欅ヶ丘部会が中心となり、欅ヶ丘地区まちづくり計画(案)をまとめ、市と協議を進めていくうちに、商業者から撤退の申し出があった。その後、隣接地に大規模な配送センターを建設する計画が出て、現在、協議会が中心となり交渉を進めているところである。

 以上が、桜ヶ丘ハイツ内を見学後、桜ヶ丘公民館で河崎さんに伺った話に、海道先生による学会補足資料を参考にまとめたまちづくり活動の経緯と現状である。

 桜ヶ丘ハイツに着いたのが遅く、もう夕闇も迫る時間だったため、河崎さんに同乗してもらい、バスを走らせながら各地区を案内してもらった。さらに桂ヶ丘ではバスを降り、芝生歩道を踏みしめながら、フレンドリー・グリーンなどの地区計画の成果を実感した。

Imgp6071 各務原から続いた見学会の後、多治見駅前の居酒屋で、河崎さんも同席して交流会が開かれた。河崎さんは名古屋天白区の出身で、この春に定年を迎えたそうだが、まちづくり協議会の他、2006年に行政・市民・議員らで設立した地域づくりフォーラムの代表を務め、また「可児市めだかの楽校」という環境活動にも中心的に関わっている。退職しても毎日忙しいと楽しそうに笑う。

 桜ヶ丘ハイツが住宅地として非常にレベルの高い整備がされていることは知っていたが、これほど活発で多様なまちづくり活動が展開されていたとは知らなかった。まだまだこれからの街である。なお一層がんばっていってもらいたい。

 マイフォト「可児市桜ヶ丘ハイツのまちづくり」もごらんください。