熱海のリノベーションまちづくり

 先日、都市住宅学会中部支部の主催で、熱海でまちづくり事業を展開する市来広一郎氏の講演会が開催された。中心市街地活性化の事例としてビジネス界では超有名人ということだったが、恥ずかしながら私は噂程度にしか知らなかった。著書「熱海の奇跡」は後日読むことにして、まずは何も知らないまま、講演を聞いてきた。
 まず若いことに驚いた、ちょうど40歳。熱海で生まれ、祖父の代から経営する銀行の保養所で育ち、東京都立大大学院理学研究科(物理学)終了後、世界27ヶ国をバックパーカーで放浪した。この時、イタリアの海岸から白い建物が並ぶ保養地の景観に「熱海と同じだ」と思ったり、クロアチアドブロブニクで暮らしの見える観光地を見たりしたことがその後の活動につながっていると言う。帰国後は経営コンサルタント会社に勤務したが、2007年に熱海へUターン。熱海でのまちづくりに取り組み始めた。
 熱海市の人口は約3万6千人。昭和の中頃には社員旅行などでホテルはどこも満員。熱海銀座も人とぶつからずには歩けないというほどの繁盛ぶりだった。しかし1965年頃をピークに観光客は減少し、2011年には半減以下の246万人にまで落ち込む。また、空き家率は全国の市で最も高い50.7%(もっともこれは別荘を含んでいるので、それを除くと23.9%)、高齢化率も47%にも達している。また、生活保護世帯率、出生率、未婚率、40代死亡率がいずれも静岡県ワースト1だそうで、これには仲居さんや芸子さんが多かったことなども理由として挙げられていた。一方で昼夜間人口比率は高く、隣接する伊東市湯河原町(神奈川県)などから通勤してくる人も多い。20㎞圏内の人口は80万人近くになるそうだ。
 当初1年間はどっぷりと熱海でのまちおこしに取り組もう、どうせダメモトという気持ちで帰ったそうだが、仲間とともに熱海を楽しむ体験ツアーを企画運営して街のファンを増やす取組を始めた。ちなみに当初の3年間ほどは塾講師をして生計を立てていたとのこと。2009年からは市や観光協会も巻き込んで「熱海温泉玉手箱実行委員会」を設立。「オンたま」として、昭和レトロな花街や喫茶店などを回るまち歩きツアー、海を活用したシーカヤック体験、熱海市南部の農業地域をベースにした農業体験など3年間で200種以上のツアーを開催し、5000人以上の方が参加した。これは必ずしも外来者向けの企画ではなく、あくまで地元の人が地元を楽しむという意図だったが、まち歩きツアーのガイドをしていて、中心市街地に多くの空き家があることを痛感した。一方で昭和レトロな看板などを喜ぶ建築家などの姿を見て、観光が歓楽・行楽型から暮らしを体験するようなものに変わってきている中で、中心市街地の存在は熱海の強みではないかと感じ、空き店舗を何とかしたいと考え始めた。
 市来氏が代表理事を務めるNPO法人atamistaは2009年8月に設立されている。公益事業コミュニティサイト「CANPAN」に掲載された活動概要を見ると、2007年当初は熱海の地域情報ポータルサイトを開設したり、まちづくりセミナーやHP構築支援などの地道な活動を行っている。こうした中で2009年に熱海市等と協働して「オンたま」が開催できたことは、NPOの初期における運営面でも大きかったように見える。ちなみに2011年、総務省のICT利活用広域連携事業を7000万円の規模で受託したが「何も残らなかった」と笑い、逆にこうした経験が行政の補助金や委託事業に依存した活動の限界を感じ、民間資金によるまちづくり会社の設立につながっていったと言う。
 2011年、中心市街地のリノベーションを目的とする会社「(株)machimori」を設立。空き店舗を再生した「CAFE RoCA」の開業(2012年)、元パチンコ屋をリノベーションした宿泊施設「guest house MARUYA」のオープン(2015年)、老舗の椿油屋の2階空きスペースを活用したコワーキングスペース「naedoko」のオープン(2016年)などを進めてきている。これらの事業を進めていくにあたって、まずはかつての熱海のメインストリート熱海銀座で事業を進めていこうと考えた。その地区を選んだ理由は3点。(1)熱海の古くからの中心地であること、(2)干物や椿油屋など老舗が多くこれらの店舗では後継者も育ってきていること、そして(3)30店舗のうち実に10店舗が空き店舗だったこと。実際、共同出資した仲間には干物屋の若旦那(ほぼ同年代)もいる。
 まずビジョンを掲げた。「クリエイティブな30代に選ばれるまち」。人通りのない通りにただオープンしても人は集まらないため、「CAFE RoCA」開業当初はコンサートなどのイベントを年100回以上も開催して、人を集めた。また2013年11月からは熱海銀座で2ヶ月に1回、歩行者天国にして40~50件の仮設店舗を並べる「海辺のあたみマルシェ」を開催した。普段1日500人程度の通りに5000人以上の人が集まるなど、かなりの集客があったが、これは熱海で開業したいという人を発掘することが目的。現在は空き店舗が2軒にまで減少したこともあり、今後の継続については検討中とのこと。ちなみに、実施にあたって各店舗からの合意形成は得ることはせず、苦情に対しては後からひたすら謝ることにした。各店舗からの苦情は多かったが、それを機に信頼を得ていった面もあったようだ。
 「guest house MARUYA」は素泊まりで、夜は熱海の街なかの飲み屋へ。朝はご飯とみそ汁は提供するが、向かいに3軒ある干物屋で干物を買ってもらい、それを焼いて食べる。また温泉も近くには家康も絶賛したという日帰り温泉「大湯」がある、というように、街を使いこなしながら泊まる宿を目指している。一方、熱海市と協働し、「99℃ Startup program」という起業支援活動も行っている。先に紹介した「CAFE RoCA」は5年で閉店したが、その後はこのプログラムの受講修了生が起業して、コーヒースタンド「caffe bar QUARTO」とジェラードの店「La DOPPIETTA」がオープンしている。コワーキングスペース「naedoko」も企業支援の一環であることは言うまでもない。近年は大手資本の進出も周辺部では目立つようになってきたが、幸い中心部は建物等の規模が小さいため、まだあまり入ってきていないとのこと。中には、オーナーが断った事例もあるそうで、やはり不動産オーナーの意識を上げていくことが重要だ。
 こうしたリノベーションまちづくりを進めるにあたり必要な4つの要素として、(1)心ある不動産オーナーの存在、(2)オーナーとテナントを結ぶまちづくり会社の存在、(3)戦略的なビジョンを持つこと、(4)人財育成の仕組みを挙げた。そして、あくまで民間主導での公民連携を図り、民間自立型のプロジェクトを進めることを強調した。「志は高く、一歩目は低く」、「街を歩き、徹底的に観察する」といった言葉が印象に残る。市来氏がこのような活動ができるのも、経営コンサルタント時代の経験が活きているように思う。「奇跡の集落」を読んだ時にも感じたことだが、やはり地域の活性化には相応の経営ノウハウとセンスを有していることが不可欠なようだ。
 非常に興味深い講演だった。今回の講演はたまたま中部支部の中に、市来氏の高校の同窓生がいて、その縁で講師を受けてもらったと聞く。こうした地縁を大事にする姿勢もまた、まちづくりの成果につながっているのかもしれない。またぜひ熱海を訪れたい。その前にまずは「熱海の奇跡」を読むことにしよう。