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「建築」で日本を変える

すまい・まちづくりノート

 国立陸上競技場のコンペを争ったように、伊東豊雄隈研吾はいまや日本を代表する建築家の双璧となっている。しかし二人の建築の志向はかなり違う。特に東日本大震災で各地に「みんなの家」を建設して以降、伊東豊雄の方向性は大きく変わったように思う。「みんなの家」の後、「あの日からの建築」を出版した筆者だが、本書はその後の活動、「ぎふメディアコスモス」や愛媛県大三島でのプロジェクトなどを紹介しつつ、今現在の筆者の建築に対する思いを語る。
 本書は基本的にインタビューに応じて、それを編集したものである。そういう経緯からも全編、非常に平易な言葉で語られ、理解しやすい。一言で言えば、「都市を向いた建築」から「みんなでつくる建築」へ進もうとしているということだ。「都市を向いた建築の時代は終わった」という言葉は第1章のタイトルでもあるが、本書を開いて最初に飛び込んできた言葉として驚いた。そこでは近代主義建築を批判し、時代が変わったということを述べているわけだが、そうした建築の造り方自体は、筆者自身も信濃毎日松本本社の計画にあたり山崎亮とコラボしたように、既に多くの地域で実践されている。地域性に根ざすといった建築思想もけっして新しいわけではない。しかし伊東豊雄がそうした姿勢で建築デザインに臨む時、やはり現れる建築はこれまでにないものとなる。
 本書では「ぎふメディアコスモス」がかなりのページを割いて説明されている。近くに住みながら未だ見学していないことを恥じるとともに、ぜひ行かなければと思う。私の中では目下、見学したい建築物リストのトップにある。そして本書で紹介される大三島の各プロジェクト、伊東豊雄建築ミュージアムなどの施設や、現在建築中の信濃毎日松本本社もぜひ見学したい。
 「おわりに」に最近患った病気のことが書かれていた。伊東豊雄ももう75歳か。すごく若く見えるけど、先日はシーラカンス小嶋一浩が若くして亡くなった。伊東豊雄にはまだしばらく活躍してもらわなければならない。今後の日本建築の潮流は伊東豊雄が目指している方向にあると思うから。心から応援したい。

○再開発は住民のためではなく、一部企業家の経済のために行われているのです。/こうした再開発の繰り返しを経て、現在の東京は場所性、すなわち地域独自の歴史や環境を失って、世界の大都市と見分けのつかない均質な風景に変わってしまいました。・・・これを一言で表現すれば近代主義思想の空虚な結末です。・・・私は、「都市を向いた建築の時代は終わった」と感じています。/言葉を換えれば、近代主義建築が大きな岐路を迎えているということです。(P15)
○最近、私は大三島に行くようになって、改めて瀬戸内周辺の1950年代、1960年代の公共建築の力強さに心惹かれています。・・・それらと近頃の建築とが違うところは、戦後の貧しい時代に西欧からの近代主義思想による公共建築を実現しようという高い理想にあふれていた点です。・・・当時の公共建築には必ず広場があって誰に対しても開かれていました。広場は今、ほとんどが駐車場になってしまいましたが、市民の場であることの誇りと主張を象徴しています。それらはまるで戦後の復興を遂げつつある町々への、建築家からの贈り物のようなものだったと思うのです。(P157)
○信毎松本本社ビルの・・・プロジェクトを通して、また行政がつくる公共施設だけでなく、地元企業による「非公共的公共」という独立自尊の姿勢と市民の意識とが結びつくことこそが、地方を豊かにする原動力になるのだと確信しました。そして、与えられるものを享受するだけでなく、自分が参加する、自分が考える、自分が行動することが楽しいのだろうと思うのです。/私自身も「ぎふメディアコスモス」、大三島、そして信濃毎日新聞社松本本社という地方のプロジェクトを通して、新たな境地を見出しつつあるような気がしています。(P166)
○今、私が目指している建築は、近代主義が切り離してしまった建築と人びとの距離を縮めること、いや一般の人たちの手に建築を取り戻すことです。そのことが、建築に自然を回復させ、地域性や歴史文化を継承させ、コミュニティを再生させることに繋がると考えています。/建築は日々の生活のリアリティを実感できる場でなければなりません。建築家だけでない、つくる人も、暮らす人も、活動する人も、みんなが建築に関わってこそ、建築は生き生きとした生命を宿すことができるのです。(P194)