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地震の記憶

 熊本地震の揺れがなかなか収束しない。今回の地震は、最初の前震では直下型断層地震ということで建物被害は地域限定的だったが、その後に大きな本震が襲い、前震で緩んだ建物が崩壊するという被害が多数起きている。今後の余震でさらに崩壊する建物が増えないことを祈りたい。
 さて、熊本地震は人々の地震の記憶の中でどう記憶されるだろうか。日本の最近の地震と言えば、やはり阪神淡路大震災東日本大震災が大きく記憶に残っている。そもそも「大震災」と地震被害自体を指した言葉があるのは、この二つに関東大震災くらいで、後は例えば東南海地震とか濃尾地震、福井地震など地震の名称で記憶されている。そしてこの二つの地震は死者数も数千から数万人と非常に大きな被害をもたらした。それらと比較すれば、熊本地震はまだ数十人規模の被害で収まっており、大震災と呼ばれることはないのかもしれない。
 しかし、阪神淡路大震災東日本大震災地震名で言えば、兵庫県南部地震東北地方太平洋沖地震と並んで記憶に残る地震は多くある。記憶ということなので私が生まれる前の地震は含めないが、三河地震については両親から「戦時中だったが、毎日のように揺れて家の中で寝られないので、外に茣蓙を敷いて寝た」という話を聞いたことがある。当時はまだ一般家庭に自動車はなかったが、熊本地震と同じような状況だったのだろう。
 物心ついた以降の地震で記憶にあるのは、新潟地震である。東京オリンピック前の1964年6月に発生したこの地震では、県営住宅が液状化によって傾いた写真をよく覚えている。東京から消防隊が駆けつけたという救援物語も小学二年生に掲載されていて、すごいなあと思った。
 次に覚えているのは、1968年に発生した十勝沖地震。これは今では三陸沖北部地震の一つに分類されるのだそうだが、建築学科の授業でこの地震の名前を何度も聞かされた。死者数は52名と中程度の被害だったが、私はまだ小学生でメキシコ五輪のサッカー銅メダルくらいしか記憶にない。建物の短柱のせん断破壊が多く見られ、これを受けて1971年に柱や梁の帯筋の間隔を密にする建築基準法の改正が行われた。
 次いで覚えているのは、宮城沖地震である。これは1978年の発生。このときは大学在学中だったが、学内でそれほど大騒ぎしていた記憶がない。ただ当時のRC構造の授業でもっぱら終局強度設計ばかり教わって、就職後、許容応力度設計についての知識がほとんどないことに気付き、ひどく苦労した。1981年に建築基準法が改正され、いわゆる新耐震設計法が導入されたが、これは簡単に言えば、これまで許容応力度設計だけだった構造計算に、終局強度設計を追加するものなので、大学でも新しい設計法ということで終局強度設計に注目していたのだろう。
 そして阪神淡路大震災が発生する。1995年だ。その前にも、秋田県で遠足に来ていた小学生が津波に流され死亡した日本海中部地震(1983年)や御嶽山の東側で土砂崩れなどの被害が多く発生した長野県西部地震(1984年)、奥尻島で甚大な津波被害が発生した北海道南西沖地震(1993年)などが発生している。長野県西部地震については、手島悠介のノンフィクション「大地震が学校をおそった」を娘と一緒に読んだ記憶がある。
 だがやはり阪神淡路大震災の記憶はこれらの地震を凌駕する。それを語りだすと、どれだけでも書けそうだが、被災1ヶ月後に兵庫県に住む友人の導きで被災地を視察した記憶と、2年後、建築士会の活動で被災地の復興に向けた取組等を見学して回った(「神戸復興塾/震災復興の神戸を歩く」)ことが大きな記憶として残っている。1階ピロティが崩壊したマンションも衝撃的だったが、友人の妻の両親が経営するベーカリーのビルが隣のビルとぶつかり合い、ビルの上部が破損していた。1mくらいは空いていたはずがぶつかるんだという記憶。今回の熊本地震でエキスパンション・ジョイントが壊れたマンションが話題となったが、通常の数十cm程度の隙間ではやはり壊れるなあと改めて思った。また、阪神淡路大震災は密集市街地の火災で多くの建物が焼失し、死者も多く出している。
 その後、2004年には新潟県中越地震。さらに3年後には新潟県中越沖地震が発生している。新潟県中越地震では私自身が被災建築物応急危険度判定のために新潟へ行った。建物被害としては小千谷市被災状況を目の当たりにしたが、意外に地域限定的。それよりもその後に行った刈羽村液状化現象を多く見たことが印象に残っている。「これが授業で習った液状化現象か」という感じ。世間的には山古志村の孤立の方が大きな話題になっていた。2008年に発生した岩手宮城内陸地震では山間部の大きな土砂崩落が映像に生々しい。最大加速度4000ガルを越える加速度が記録されたが、山間部だったため建物被害は少なく、東日本大震災後はあまり語られることも少ない。
 そして2011年の東日本大震災である。こちらは何と言っても津波被害と原発事故。揺れの割には建物被害が少なかった。もっとも壊れた後、津波で流されたものも少なくないだろう。また、東京でも大きな揺れがあり、死者もあったことから、帰宅困難者対策が話題となるようになった。自粛ムードが広がったこともこの地震の大きな特徴かもしれない。私自身も既にブログを開設しており、当時の揺れる気持ちをたびたび綴っている。やはり津波の映像が衝撃的だった。そして原発の問題は今も全く解決していない。災害公営住宅もようやく完成し入居が始まっているが、いまだ仮設住宅に住む人が多く残っている。
 さて、熊本地震は後世にどう伝えられるのだろうか。深く記憶に残るような災害にはならないことを願っている。