読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

景観の作法

 布野修司は昔「住まいの夢と夢の住まい」を読んだことがある。それ以来、アジアの都市や住まいを研究している人だと思っていた。本書は本格的な景観論。教科書的なと言っても過言ではない。そして2000年に発行された「裸の建築家:タウンアーキテクト論序説」をベースに、タウンアーキテクトの必要性を主張する。こうした本も書いていたのか。こんな研究者だったのかと今頃になって思う。現在は滋賀県立大学副学長である。
 ソウルの清渓川のプロジェクトを紹介する序章に始まり、各地の景観問題などを紹介する第1章「風景戦争」、風景とは何かを教科書的に解説する第2章「風景言論」、そして景観の維持・再生・創造など具体的な手法を提案する第3章「風景作法」から成る。結章では東日本大震災の復興計画を批判し、仮設市街地の形成を説く。
 第3章「風景作法」の結論はタウンアーキテクトである。コミュニティ・アーキテクトとする部分もあり、両者はほぼ同じ意味を示す。その実践としての京都コミュニティ・デザイン・リーグの活動の紹介も興味深い。その前には、日本における4つの景観層や地球景観からスポット景観に至る5つの景観レヴェルを紹介するところも面白い。
 誰でも建築家である。だからこそ合意形成の場が必要だし、タウンアーキテクトの職能が求められる。聞き飽きた言葉のような気もするが、本当にタウンアーキテクト制は日本に根付くのだろうか。正直、悲観的だ。景観作法の必要性を訴える以前に、グローバル資本主義のもとで経済に毒された日本人のあり方を批判する必要があるように思う。景観の悪さは日本社会の醜悪さを反映しているような気がする。

景観の作法: 殺風景の日本 (学術選書)

景観の作法: 殺風景の日本 (学術選書)

●景観問題、「風景戦争」を引き起こすのは急激な変化であり、規模の極端な違いである。穏やかな変化を許容するルールが求められているのである。(P104)
●「良い」「悪い」という判断とは関わりなく、景観を問題とするということは、その公共性とアイデンティティを問題にするということである。すなわち「悪い」景観であれ、その土地のアイデンティティとなることはありうる。/問題は、風景享受の公共性の概念、景観のアイデンティティが世界中で失われていくことである。(P195)
●日本の自治体によるまちづくりについては、様々な問題があるが、最大の問題は、多くの自治体がまちづくりの主体として十分その役割を果たせていないことである。そして、地域住民の意向を的確に捉えたまちづくりを展開する仕組みがないのが決定的であるように思われる。/そこで、自治体と地域住民のまちづくりを媒介する役割をもつタウンアーキテクトという職能を考えようというのである。(P273)
●巨大災害後の・・・第一の壁となるのが、無秩序なまちづくりを防ぐための建築制限である。茫漠たる被災地は、最初から大災害を防ぐ巨大な壁と建築制限という巨大な壁の間に広がっているのである。・・・災害に襲われた場合には、なるべく元の場所やその近くに復興の基地となる「仮設のまち(仮設市街地)」をつくって復興に取り組むべきだ。・・・復興までの期間を互いに助け合って暮らしながら、復興の考えを協議していくことが必要である、というのはごく当然の主張である。(P301)