横丁と路地を歩く

 全国の横丁や路地を歩き、紹介する。現存するものが24か所。消えた横丁2か所。さらに新たに誕生した横丁として「おかげ横丁」など4か所が紹介されている。その多くは東京に片寄っていて、その他の地域は本書のためにわざわざ取材して追加したという印象だ。これが第3章。その前に、横丁と路地を定義する第1章と、横丁や路地の誕生を説明する第2章が置かれている。四十間四方の京の町割りを真似た東京の町割り。名古屋はこれらとは異なり、五十間四方の町割りとなっていたという説明は興味深い。
 紹介される横丁・路地の中でも、東京のビルの中の路地が面白い。ビルとビルの隙間のビル従業員がしばしの休憩を取る路地。ビルの中の狭い呑み屋横丁。私自身は「ああ、あそこ」と思い出せるのは2割ほどか。ぜひいつか、本書で紹介された横丁や路地を歩いてみたいものだ。
 でも、本書で紹介されていない、魅力ある路地や横丁はまだまだたくさんあるはず。名古屋でも伏見の地下街などいくつか思い浮かぶ。
 第4章では横丁や路地に魅力を感じる理由を空間的観点からいくつか書き連ねているが、どこかの論文からの引用という感じ。筆者は研究者ではなく、建築評論家。建築系の雑誌編集に長く携わってきた人のようだ。街歩きを趣味とする好事家の本という感じだが、横丁や路地の紹介をそれぞれの地図から現地を想像しつつ読んでいくのは、けっこう楽しい。行ってみたいという気にさせる。

横丁と路地を歩く

横丁と路地を歩く

●横丁や路地はすべてをさらけ出して見せることをしていない。細い通路によって、外部から遮断された世界をつくり出しているのが横丁と路地だ。(P5)
●名古屋は一辺が五〇間の正方形。四面両側町で設計された。これを十五間、二十間、十五間の三つに分け、中央奥深くの十間×二十間のスペースを会所地とした。しかし、これでは、単なる空き地となってしまうため、有効利用として寺院も多く配置されていた。(P58)
●江戸の七割を敷地を占めていた武家地の荒廃は大きな社会問題ともなった。このため、1869(明治2)年に考案されたのが荒廃した武家地を使っての桑や茶の栽培だ。・・・この耕作地となった武家地の転用開発については民間への払い下げが進み、大小の住宅地へと転用されていった・・・この一方、桑畑の話に乗らなかった武家地というのが・・・まとまった敷地が土地の売り買いに支障をきたし、・・・細かく分けられ販売される屋敷も多く出現した。この武家地跡には縦横無尽に路地が走り、かなりエキサイティングな迷路を残している。(P60)
●高さを求める移動は緊張感を生み出させる。一方、水平ラインは穏やかさや心の温かさを抱かせる。/水平移動の横丁や路地には、権威や威厳ではなく、心温かい庶民の世界がある。(P271)