住まいを再生する

 昨秋、講演をお願いした平山先生から本書の刊行を知らされ読み始めた。住宅問題や建築関係の研究者に留まらず、弁護士や法学、行政学、経済学などの多様な執筆者が分担して、東日本大震災及び福島原発事故による被災者支援と地域復興に向けて、現在直面している問題や見えてきた課題等について多方面から復興のための政策・制度論を綴っている。
 国の復興構想や復興基本法などの問題点を分析する「第1章 『理念』と政策」、被災自治体や被災者等によるまちづくり実態と専門家の役割等を述べる「第2章 自治体・専門家・住民」、東日本大震災復興特別区域法を先行する構造改革特区や総合特区の分析等から批判する「第3章 被災者のための『復興特区』を考える」、さらに復興予算の実態と流用問題等を考察する「第4章 復興予算問題が突きつけたもの」から成る第1部「復興の枠組みをみる」。
 応急仮設住宅の問題を研究する「第5章 仮設住宅政策の新局面」、「土地被災」と「持家被災」という東日本大震災固有の住宅被災を踏まえ、住宅再建のあり方について論じる「第6章 『土地・持家被災』からの住宅再建」、阪神淡路大震災時の復興まちづくりと比較して、東日本大震災でのまちづくり手法について考える「第7章 試されるプランニング技術」、防災集団移転促進事業等の事業制度の実施状況と課題を示す「第8章 復興まちづくりと集団移転の事業制度」で構成する第2部「津波被災地の苦闘」。
 そして、福島県の現状から問う第3部「引き裂かれる原発被災地」は、「第9章 福島 人びとの『居住権』を求めて」、「第10章 広域避難」、「第11章 原発賠償と生活再建」から成る。
 福島大名誉教授の鈴木浩先生もいるが、編者の平山氏が神戸大、斎藤氏が大阪弁護士会所属、また神戸大名誉教授の塩崎賢明先生など、阪神淡路大震災を経験し、その調査研究結果を比較対象に、東日本大震災の特性や固有性、現状を調査・分析し、課題等を分析する論文も多くみられる。また復興基本法などの法分析や制度運用の実態と課題分析など、法律や行政研究の専門家ならではの鋭く深い論文も多い。
 現状はまだまだ動いている。しかし課題に直面したまま、困窮度がさらに深まり、二次被災とも言うべき状況に陥ることが心配される現実も多く見られる。居住権というすいぶん昔からの論点が東日本大震災によって初めて、実体をもって立ち現われてきたようにも感じる。「住まいは人間生活の基盤」という言葉の本当の意味も、東日本大震災被災地を見ることで初めてはっきりと見えてきたような気がする。

住まいを再生する――東北復興の政策・制度論

住まいを再生する――東北復興の政策・制度論

●人生と地域に必要なのは、過去・現在・未来の連関のなかでの継続性である。大災害が起こす被害とは、この継続性の破壊にほかならない。人びとは、過去を振り返り、未来を想像するところから、過去と未来の間に日常を重ね、自身の人生を織り上げる。地域の社会・経済・空間は、過去の経緯を受け継ぎ、未来に向って少しずつ変化する。・・・人間とは、過去と未来のはざまの存在である。・・・人生と地域の現在は、それ自体として自立し、完結するのではなく、過去と未来に関連づけられ、文脈を与えられることによって、ようやく意味をもつ。(vi)
●民間主体の応急仮設住宅の建設に対する建設費相当額の補助金支出制度も創出すべきである。民間主体としては、第三セクターや民間企業、諸団体による供給はもちろん、被災者が自力で仮設建築物を建てようとする動きについては、やみくもに建築制限をするのではなく、むしろ正面から認めるのが、被災者の自立した復旧・復興の促進につながる。・・・根本的な仕組みをあらため、応急仮設住宅の現物支給を金銭支給に切り替えることとなれば、被災者は民間事業者に発注する流れになる。すると、住宅品質の保証は事業者の責任となり、被災自治体の役割は性能保証から監督指導に軽減される。(P92)
●災害公営住宅の建設計画には、ストックの将来の利用方法を織り込む必要がある。その一つは、用途転換の予定である。公営住宅を建て、需要が縮小すれば、ストックを高齢者向け施設などに転換する、といった計画をつくることが考えられる。もう一つは、災害公営住宅の払い下げである。・・・住宅復興の政策体系のなかで、災害公営住宅の供給は、それ自体として完結するのではなく、持家再建支援とのトレードオフを構成する。(P121)
セーフティネットは、人びとの生活場面でさまざまな困難に直面したときの安全・安心のための制度的な枠組みをいう。その根拠となる思想は、人権思想つまり居住権保障に基づくべきであるが、わが国ではその時々の為政者による慈恵的な性格が強く影響して、セーフティネット思想が形成されており、居住権の確立を妨げている。(P166)
原発事故にともなう放射線汚染は、「住まい」が賠償金で贖えるような「私有財産」ではなく、一人ひとりの安心にとって、また地域社会の構成要素として、かけがえのない存在であるということを示している。(P225)