読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

伊勢の式年遷宮と伝統技術の継承

 今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の年である。伊勢市にある皇學館大學文学部の岡田教授から伊勢神宮式年遷宮に係る話題についてお話を伺った。

 そもそも伊勢神宮とは、という話題から入るが、創紀は内宮の皇大神宮が297年、外宮の豊受大神宮が478年。皇大神宮の祭神、天照大神は、10代崇神天皇の代までは宮中に祀られていたが、天候不順が続くなどしたため、崇神天皇6年に一旦は笠縫邑(奈良県桜井市付近)に祀り、その後、11代垂仁天皇の代になって、祀るべき場所を求めて近江や美濃などを巡った末、垂仁天皇26(西暦297)年、伊勢の宇治に至り、五十鈴川上流の現在地に祀られた。

 天照大神は日の神で、東の海から太陽が上がる伊勢の土地は天照大神にふさわしい。ちなみに「海」とは「うみ」「生み」「産み」であり、生産に通じるというトリビアは文学部の先生らしく面白い。

 一方、豊受大神宮は第21代雄略天皇の時代、天皇の夢に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできない」と言われ、丹波国から豊受大神を遷し祀ったものという。雄略天皇22(西暦478)年のことである。豊受大神は食の神で、今でも朝夕、神事が行われている。ちなみに、「稲」(いね)は「命」「根」で、まさに生命の源の意だと言う。

 皇大神宮豊受大神宮はそれぞれ正宮の他、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社の計125社が存し、社殿のない神様も数えると、141座をお祀りしている。

 式年遷宮は20年ごとに殿社を建替えるもので、併せて神宝・装束も新調する。遷宮の制は壬申の乱の主役の一人、大海人皇子こと天武天皇が定め、死後、妻であった持統天皇の代4(西暦690)年から内宮で、さらに2年後の持統天皇6年から外宮の遷宮が始められた。ちなみに、持統天皇4年の干支は「庚寅」。「庚」は「更」で「更にする」の意、また「寅」は勢いをもって始めたということか。

 別宮14社のうち、荒祭・月読・伊雑・瀧原・高の5別宮は天平19(西暦747)年に遷宮が始められ、現在は14別宮と8摂社で20年遷宮が、摂末社以下の86社で20年ごとの修造、40年ごとの遷宮が行われている。 こうして始められた遷宮だったが、都合2回中断期間があった。一度目は応仁の乱の時で、外宮は永享6(西暦1434)年第39回の後、内宮は寛正3(西暦1462)年第40回の後、約130年弱中断され、再開されるのは外宮が永禄6(西暦1563)年、内宮が天正13(西暦1585)年。ちなみにこの年に外宮も2年遅れで遷宮が行われ、ここから内宮・外宮の同時遷宮が始まり、遷宮の回数も内宮・外宮で同じとなった。

 江戸時代に入って13回の遷宮費用はいずれも幕府が負担。明治以降も戦前までは国が全額負担してきたが、太平洋戦争後、本来であれば昭和24(1949)年が式年の年であったが、進駐軍から認められず、この年は宇治橋のみの架け替えにとどめ、正式に遷宮が認められ行われたのは昭和28(1953)年である。以降、宇治橋の架け替えは式年遷宮の4年前に行われている。その後は天皇家の御内帑金と神宮奉賛会からの浄財で遷宮が実施され、ちなみに今回の費用は約550億円と言われている。

 御用材は樹齢200年ほどのヒノキが長野県木曽谷国有林、岐阜県裏木曽国有林及び五十鈴川上流の神路・島路山に確保されており、今年の式年遷宮には約2割ほどが利用されるという。こうした山林は御杣山と呼ばれ、近傍各地の山が指定されてきたが、1809年以降は木曽山が御杣山とされている。また、萱も三重県度会町の五里山が御萱山として指定され、毎回32宮社25000束(1束:約25kg)が揃えられる。なお、建替えられた後の旧材は、1/3が全国の神社へ撤下、1/3が摂末社の修理材に利用されるリサイクルの仕組みができあがっている。

 式年遷宮と同時に作成される神宝・装束は714種1576点。これらも毎回同じものが作成され奉納されるが、技術の伝承が非常に難しくなっている。神宝・装束は20年ごとに焼き捨てられ、土中埋納されてきたため、それ自体は国宝になりえないが、それを作成する職人は人間国宝であり、文化勲章受章者であり、伝統工芸技能者である。また、明治以降は神宝・装束も神宮徴古館に収められ保存されている。

 20年に1度建替える意味は様々言われる。先生からは6説ほど、最大数説(手足の指の数)、尊厳保持説(白木造りの建物の耐用年数)、世代技術伝承説、原点回帰説(陰暦11月1日に冬至が来るのは19年7ヶ月毎)、糠保存説(遷宮は大神嘗祭であり、倉庫令で糠の保存を20年と定めたため)などが紹介されたが、どれが正解というわけでもない。だが、建築的には世代技術伝承説が重要だ。

 講演後、「出雲大社はなぜ遷宮をしないのか」という質問があったが、「出雲大社はかつては今の数倍の大きさだったため、とても十数年ごとに建替えることは材料の確保等の点で不可能だった」と答えられた。実に20年に1度というのは絶妙だ。今なら二つの殿社が並んでいる姿が見られるという。あいにく当面見に行く予定はないが、昨年オープンした「せんぐう館」は一度見学に行きたいと思っている。