団地の空間政治学

 「団地の時代」や「滝山コミューン1974」で一貫して団地の政治状況について研究してきた筆者による団地の空間政治学。本書では、大阪の香里団地、東京多摩の多摩平団地とひばりヶ丘団地、千葉の常盤平団地と高根団地を取り上げ、各団地での自治会や居住者組織の成立と活動、発展と終焉の過程を多くの文献等で詳細に調査し、なぞっていく。

 京大の知識人が多く居住し、文化活動を展開した香里団地。60年安保闘争などの政治状況に深く関わっていく多摩平団地。西武運賃値上げ反対運動や保育園設立運動で盛り上がり、共産党や社会党に占拠されるひばりヶ丘団地自治会。交通問題への要求が政治活動へつながらなかった常盤平団地。政党性を帯びた女性が活躍した高根団地。団地の置かれた立地や入居時期などによって自治会活動は大きく異なるが、いずれもコンクリートの壁に閉じ込められた「私生活主義」と交通問題や保育問題等で住民がつながっていく「地域自治」が団地ならではの空間性ゆえに展開していく。

 そのことを筆者は、「『空間』が『政治』を作り出した」と言う。確かにそういう面もあるだろう。だが今やメディアやIT環境が日本人の生活に入り込み、「空間」を超えて「生活環境」自体が「政治」を生み出していると言えるのではないか。今や日本中が団地になってしまった。その「私生活主義」を破る「地域自治」はどうすれば生まれてくるのか。そこに「空間」が関係するのかどうか。それはまだ私にはわからない。コミュニティデザインがその萌芽なのだろうか。

ひばりヶ丘団地をはじめとする初期の団地が建てられる時期は、皇太子が結婚する時期であるとともに、多くの住民が政治に目覚めた60年安保闘争の時期とも重なっていた。コンクリートの壁に象徴される「私生活主義」と団地自治会に象徴される「地域自治」とが、同時並行的に現われたのである。(P57)
公団の団地に住んでいたのは、労働者階級よりはむしろ新中間階級であった。新興の団地は、もともと地元とは関係のない新住民によって構成されているため、自民党の地盤になっていなかった。共産党はこの点に注目し、団地で積極的に『アカハタ』の購読者を増やすなど、指示を広げていった。(P95)
●自民党にとって、団地が増えることは革新政権の誕生を意味していたのである。・・・「賃貸の団地造りは革新票を育てるようなもの。保守的な人間をつくるには持ち家政策を推進する以外にない」というのが持論だったという。・・・しかし70年代の政局は・・・共産党支持者の多かった高島平団地ですら、社会主義とは相いれない個人主義が台頭しつつあった。(P233)
●「政治」が「空間」を作り出したのが旧ソ連や東欧の集合住宅だったとすれば、逆に「空間」が「政治」を作り出したのが日本の団地だったのだ。・・・本書で縷々明らかにしてきたような各団地での自治会や居住組織の多様な活動は、「私生活主義」におさまらない「地域自治」の意識を目覚めさせるとともに、プライベートな空間の集合体である団地と社会主義の親和性をあぶり出した。・・・団地再生の取り組みと「地域社会圏」の接点を見いだすべく、建築学と政治学はより一層の連携を深めていかなければならないと思う。(P266)