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第四の消費

 三浦展の消費社会論の集大成と言える。消費社会を大正初期から始まる第一の消費社会、戦後の第二の消費社会、オイルショック後の第三の消費社会、そして人口減少などが始まって以降の第四の消費社会と4つに区分し、特に現在から今後さらに進行する第四の消費社会とは何かを論じる。

 全体を概観する第1章「消費社会の四段階」に続いて、第2章「第二の消費社会から第三の消費社会への変化」の章が長い。各段階はけっして明確に区分されるわけではなく、積み重なり、予兆を伴いながら変化していくので、第2章で戦後から現在までの消費社会の変化や人々の意識を振り返ることは、これからの消費社会、いや社会そのものの将来を見る上で重要である。

 「消費の高度化・個人化」「大衆の分裂と格差社会の予兆」「ニーズからウォンツへ」「高度消費社会の飽和と消耗」など、この数十年間言われ続けてきた事柄を概説しつつ、現在の「シェア志向」「エコ志向」「日本志向」「地方志向」がなぜ生まれてきたのかを説明する。

 第四の消費社会の表れとして紹介されるシェアハウスやリノベーションなどは都市計画や建築の専門家なら既知のことではあるが、これらの潮流が「人生の意味を求める消費」であると言われるとオオッと感嘆の思いがする。

 第4章「消費社会のゆくえ」では、これからの企業戦略についての提案も書かれているが、その書き出しに書かれている『現代の消費者は「楽しいこと」ではなく「うれしいこと」を求めている』(P249)という言葉は、なぜ第四の消費社会がモノではなく「ヒトとのつながり」を求めるのかを端的に表現していて興味深い。確かに、「楽しい」以上に「うれしい」ことの方が豊かで心に沁みる。

 第3章、第4章の章末に添えられた、コミュニティデザイナー・山崎亮氏や日常編集家・アサダワタル氏、佐賀でまちなか再生活動を行う建築家・西村浩氏、さらに元セゾングループの総帥にして詩人の辻井喬こと堤清二氏との対談やインタビューも興味深い。

●第四の消費社会は、日本志向である以上に地方志向であり、それは必然的に脱集中志向、分散志向である。グローバリゼーションによる全世界画一的な商品が広がる一方で、にもかかわらず、むしろそうであるがゆえに、地方ごとの独自のものが評価される時代になっているのである。(P192)
●第三の消費社会までは物の消費が中心だったが、第四の消費社会が発展していくにつれて、消費は、単なる物の消費から本格的な人間的サービスの消費へと変わっていくことはまちがいない。しかしそれは、単に金銭を払うことで一方的にサービスを受け取るのではない。消費を通じて、もっとお互いの人間的な関係を求める人々が増えていくであろうと予想されるのだ。つまり、サービスという商品を消耗するという意味のサービス消費が発展するのではなく、サービスが提供側にとっても受け手側にとってもコンサマトリー(自己充足的)な行為であることが求められていくだろう。(P204)
●それぞれの活動は点でも、多くの点がつながることにより、点は線になり、面になって、まち全体に広がっていくのである。それは、役所、官が主導するパブリックではない。市民ひとりひとりがプライベートを少しずつでもみんなに開くことによって生まれるパブリックである。これこそが「新しい公共」であろう。(P242)
●消費すること自体が、時間や人生の消耗ではなく、時間と人生の充実であることを人々は求めるであろう。考えてみれば、人間にとって最大の消費対象は人生そのものであり、究極の消費とは人生の成就であろう。この人生を浪費して無駄に終わらせるか、消耗して疲れ果てるか、あるいは充実した時間を過ごして、満足して死ぬか、これこそが人間にとって最大の問題である。第四の消費社会は、人々にそうした問題を意識させていると言えるであろう。(P246)