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開発空間の暴力

 大津市のいじめ自殺事件が連日報道されている。「いじめ自殺を生む風景」という副題のとおり、本書では1980年から2006年に至るまでのいじめ自殺事件が発生した地域の特徴について調べ、地域開発と風景がいかにいじめ自殺に影響しているかを考察する。

 いじめ自殺事件が発生した地域には多くの共通点があると言う。多くの地域にはかつて軍事施設があり、戦後、その土地が払い下げられ、さらに周辺が開発され、中心から取り残された地域である。こうした地域では、化学化された合成素材でできた住宅や建物が並び、従来からの自然素材による建物と併存している。その結果、「場所のセンス」を欠き、個人のアイデンティティが揺らいでいる。

 筆者はこのことをそれぞれの現地に足を運び、時に自転車を使って地域を回ったと言う。かつて海軍基地や予科練のあった茨城県阿見町。陸軍演習場があった千葉県習志野市御料牧場が払い下げられ、過酷な開拓生活の末に、成田空港建設予定地となった成田市三里塚。さらに新潟県上越市、福岡県高石市、千葉県富津市、茨城県結城市、埼玉県行田市、福岡県行橋市、福島県いわき市。これらの多くは数次に渡った全国総合開発計画に基づく開発地域でもある。

 愛知県西尾市は軍事施設はないが、農村地帯にアイシンやデンソーが進出し、つくし台住宅団地が開発された典型的な「脱中心化する風景」だ。

 「風景の化学化」など筆者独特の表現があり、建築系の人間にはやや違和感を感じるし、軍事施設の払い下げも土地の商品化による消費社会化の進展を理由に挙げるが、それは日本全体に進行しつつある社会状況である。第5章では、ハワードの田園都市論を取り上げ、レッチワースでは最近、暴力事件が多発していることを指摘する。

 確かに郊外住宅地や新開発地でいじめ自殺が多いことは、三浦展氏も「ファスト風土化する日本」でも指摘していたことだ。本書はそれを社会学的に調査し考察したものと言うことができる。だからと言って、「開発は全て悪」論を述べられても困る。いかに人間にとってよい環境を作るかは、都市工学分野においても常に研究され追究されているテーマだ。一方で開発だけがいじめ自殺を誘発しているわけではない。結局、現代社会が作り、生み出してきたもの。それが今の日本社会の結果なのだから。

●現代の都市が構築するのは、充足性、無臭性、安全性を兼ね備えた<透明な空間>である。・・・中心を欠き、歴史性の欠如した脱中心化する風景は、何を生み出すのか。それは、暴力の噴出である。いじめ自殺が起こるのは、脱中心化する風景がある場所なのである。この意味で、脱中心化する風景は<暴力の風景>である。(P22)
●土地の商品化が進む一方で、開発計画の名の下に、土地の買収が行われる。・・・その結果、風景が大きく変容する。しかし、計画が完全に実現されるとは限らない。その結果、計画が実現した空間と、実現できなかったか、そもそも計画から外された空間が、一つの中学校区のなかに存在する地域が生まれる。それが、投資によって作られた科学化された風景と、それ以前の風景が調和されることなく混じる、脱中心化する風景である。(P67)
現象学的地理学の領域では、「場所のセンス」ということばが使われる。それは、「個人および共同社会の一員として内側にいて自分自身の場所に所属すること、そしてこのことを特に考えることなしに知っているという感覚」である。場所のセンスを欠くと、個人の「アイデンティティ」は揺らいでしまう、と現象学的地理学は主張する。いじめを生み出す集団の成員は、こうしたアイデンティティの揺らぎを体感している。(P139)
●プラスチック製品、プラスチックを用いた建築物、合成素材から成る住宅街とその開発システムは、すべて同一の原理によって律されている。それが未来を現在のなかに取り込む時間原則である。つくし野の住宅街は、まさにこの原則によって開発されており、つくし野に持ち家があるとは、来るべき未来の幸福を現在に実現することである。(P159)
●開発は風景を変容させ、こどもに大きな影響を及ぼす。それも開発時ではなく、開発開始時に生まれたこどもが、中学生になる頃に現われるのである。つまり、開発という社会に大きな変化をもたらすできごとがどのような影響を及ぼすのかについて、一定期間(少なくとも20年程度)観察を続けるべきなのである。(P218)