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やわらかく、壊れる

 五十嵐太郎「被災地を歩きながら考えたこと」の巻末のみすず書房刊行書名リストの中にこの本が並んでいた。その時は筆者の佐々木幹郎氏について何も知らなかった。詩人である。大阪で育ち、東京下町に住み、近年はネパールを歩き、世界を旅して紀行文を多く著している。

 2003年に発行されている。東京下町に住み、東京を巡った紀行文や徒然のエッセイ、関東大震災後の西条八十中原中也を巡る評論。大正4(1915)年、後藤慶二設計の中野刑務所(旧豊多摩監獄)の取り壊しを取材し、獄中で暮らした作家の手紙から建物の美しさを称えたエッセイ。阪神淡路大震災後に書かれたもの、ネパールからの紀行文、湾岸戦争後の原油除去活動の顛末など、多様な小文が収められている。

 中でも、建物や都市が壊れること、壊れた後の世界、長い時間の流れの中に建物や都市を置いてその存在を見つめる考察や感性が優れて心を打つ。タイトルの「やわらかく、壊れる」は阪神淡路大震災後の街を歩いてのエッセイから付けられている。もちろん、「いかに壊れるか」は建築側にとっては当然考えているテーマではあるが、詩人の感性から書かれるとまた説得力がある。

 東日本大震災により我々は再び、建物や町がなくなることを経験した。今、改めて本書を読むとき、これからの都市づくり、まちづくりへの重要な示唆を提示しているように思う。「やわらかく、壊れる」。我々はこれから、やわらかく生きていかねばならない。

●人間の寝静まった深夜、どの都市でもひそかに、植物が都市を占領しようと触手を伸ばしている。わたしたちの都市は、いつでも森になろうとしているのだ。アンコールの移籍は、遠い国の物語ではない。わたしたちの都市の夜の姿なのである。(P6)
●わたしはここ(東京湾岸の埋め立て地)へ行くたびに思う。この町が完成したあと、何かが起こって滅びることがあったなら、もう一度今あるような風景に戻るのだ、と。つまり、ここで今見ることができるのは、未来の都市の廃墟なのだ。(P59)
東京大空襲で焼けるまで、初代の国技館は両国橋の東詰にある回向院の境内にあった。回向院は江戸時代の明暦の大火の後、無縁仏を祀る寺として創建されたが、相撲はそれらの霊をなぐさめる儀礼の一つとして、この寺の境内で行われてきたのである。両国の花火大会も、死者を供養するために始められた。(P72)
●人間は40秒という「長い」恐怖の時間の持続には、耐えられない。耐えられなくなった一瞬、それは人間の力を越えた自然の運動であるとわかっていても、その運動に「人格」を与えようとする。・・・地球の表面にしがみついて生きている人間という、ちっぽけな動物。だれもがその存在に、気づいたとき、圧倒的に巨大な自然はあくまで「人」の形をとったものとして、あるいは「人」によく似た形をとったものとして、理解されようとするのだ。原始人の感覚である。(P175)
●どんな都市でも、いつかは必ず壊れる。人間の造ったものは、自然の巨大な力を前にすれば、いかにもろいものか。どんなふうに頑丈な建物や都市を造るかということよりも、どんなふうに壊れるべきかを、設計思想の中心にするべきではないか。/いけに、やわらかく壊れるか。建物の内部にいる人間の被害を最小限にとどめ、建物の外部に及ぼす被害も最小限に。そのようにして、やわらかく崩壊することが可能な建物と都市のイメージを築き上げること。それは人間の滅び方を考えることと似ている。(P188)