建築の大転換

 建築家・伊東豊雄と思想家・中沢新一の対談集。2009年7月の青山ブックセンターでの対談。2011年2月の伊東豊雄設計事務所設立40周年パーティでの対談。2011年3月の伊東建築塾プレイベントでの藤森照信も加えた鼎談。そして2011年7月の伊東建築塾での中沢氏の特別講座。10月の伊東豊雄事務所での対談と1988年に書かれた中沢氏の「建築のエチカ」が掲載されている。

 主要テーマは、建築と自然。建築家が論理や知性で作りだす建築から、自然的な力が作りだす建築に向けて、伊東豊雄の建築思想と中沢新一チベット仏教思想が共鳴する。「建築のエチカ」については、チベット仏教の宗教教義の説明が独走し、理解できない面もあるが、中沢氏の「自然の贈与」を中心に据える思想は大震災後の日本で大きな説得力を持つ。

 伊東豊雄を始めとする著名建築家の被災地での活動には必ずしも共感しないことが多いが、建築家自身が今被災地で民の力を学んでいるのだと思う。伊東豊雄の作る「みんなの家」プロジェクトが何の変哲もない木造建築であるという点には可能性がある。「建築家はネゴシエーターである」(P33)というのは至言。そもそも民衆の建築に建築家が必要なのか。震災は建築家の職能について問いかけている。そこに気がつくのは伊東豊雄らしいのかもしれない。「建築の大転換」とはまさにこのことを示している。

●建築家は本来、建物に住む人とその周りの社会のネゴシエーターであり、そしてまた、自然と人間が生活する世界のネゴシエーターであるはずでした。それが弱化していたのが近代であり、被災地では、その機能を取り戻す試みをしているようにも思えます。(P35)
●人間による設計やデザインとは別の原理にしたがって、東京という都市の基本構造が決定されていることが見えてきました。・・・では「誰が、何がこれを決定しているのか」と考えていくと、それは人間による設計の外側の自然が決めているんですね。自然の理法のようなものが、人間のつくりだすものの中に浸透しているんです。最終的な決定をしているのは自然なんだ、という実感を得ました。(P42)
●人間がつくりだすいろいろなもののなかに、フィシス、自然的なものの力を組み込んでいくことが、いろんなジャンルで行われなければいけないと思っているんです。いちばんそれが必要なのは、経済の領域です。・・・思想もそうです。(P82)
●第一種交換は国家、キアスム構造をもった第二種交換は、地域・地方と見ることもできると思います。第一種交換構造に駆り立てられた国家は、自然の贈与に従ってゆるやかに動いている地方あるいは地域の生活を従属させ、無視することさえしばしばだというのが、近代以降の日本の状態です。(P231)
●建物を建てるために無神経に森や土地を切りくずし、均質に地ならしをして、自然を圧倒し、抑圧してしまうのではなく、自然の方が精妙な必然性を持って選び出した大地を借りて、さまざまな好ましい諸力が結集した時空で建築を行わなければならない、と考えられたわけだ。ここには人間の精神活動も自然のプロセスの一部であるとする考え方が反映されている。(P240)