世界が賞賛した日本の町の秘密

 タイトルを見て、「世界が賞賛する日本の町」のいくつかが紹介されているのだとばかり思っていた。それは、京都か、奈良か、それとも金沢・・・? ところが本書で賞賛されているのは、日本のどこにでもある「ママチャリタウン」だ。そう、本書はママチャリを礼賛し、ママチャリが日常的に使われる町を「ママチャリタウン」と呼んで賞賛するのである。

 ママチャリタウンは、環境にやさしく、人にやさしく、賑わいを創出し、隈なく張り巡らされた正確で安価な公共交通網によって、全国どこにでもつながっている。  確かにそういう見方を取れないこともないが、一方で不便さや危険性なども存在する。過疎が一定以上進んだ地方部では「ママチャリタウン」は既に幻想に過ぎないし、公共交通網も各地で寸断され始めている。

 だがそれでもなお、高速道路1000円施策が推進されたりする現状の前には、ママチャリが日常的に利用できる狭くて安全な道路、濃厚なコミュニティ、アイコンタクトによるコミュニケーション、活性化された便利で快適なミックスタウンを強調することは意味のないことではない。

 私自身も最寄り駅まで一時自動車やバイクを利用していた時期もあったが、ここ10数年は自転車通勤にしている。私のブログに対しても、自転車のベルを鳴らしたり、通行マナーについて指摘するコメントが付くことがあるが、杓子定規に規則に縛られるのではなく、柔軟なコミュニケーションとして評価する筆者の視線は日本人以上に日本人的だと言える。我々はやはり欧化洗脳から依然として逃れられていないのかもしれない。

●電信柱は景観的には魅力が乏しいですが、自転車や歩行者にとっては、乱暴な運転をする車に対する、ときどき現れる避難所のような役割を果たしています。(P32)
アムステルダムの人々は彼らの都市が自動車ではなく、自転車の都市であることに誇りを抱いているように思えます。利便性が高く、低炭素で健康、そして安価な乗り物というだけでなく、自転車はアムステルダムという都市の美徳の構成要素なのです。駐輪されているママチャリも見方を変えれば、日本の美しさと知恵の証としてみることができるのではないでしょうか。(P119)
●都市内の街路を自動車のために転用するという事例は、日本の都市を含めて世界中で見られる現象です。都市内の幹線道路は、高価な信号機や標識、立体交差、ガードレールなどさまざまな設備を設置することで、道路における最も広い空間が自動車に提供され、それ以外のものは端に追いやられることになります。・・・そして、我々はこれが正しい状態であると認めるよう洗脳されてしまっているのです。(P131)
●日本では自転車、そして歩行者はお互いの道路での位置づけを、・・・交通の流れに応じて、より柔軟に判断しているように感じました。/二つの自転車が近づくときには、ほとんど無意識に近い微妙なものではありますが、コミュニケーションが交わされているように感じます。乗り手は一方がちょっとタイヤを動かすことで無言のサインを出して、どちらに行くかを相手に伝えると、もう片方が違う方向にタイヤを動かすことでそのサインを了解したことを伝えます。そして、二つの自転車は行き交うのです。/これと類似した、無言ではあるけれどその場の文脈によってどのように行き交うかを相手に伝えるサインは、自転車が走行可能な歩道を利用する自転車と歩行者とでも見て取れます。(P136)
●狭い道路は自動車交通を抑制するのにも効果があります。それは「自転車の買い物カゴ」のサイズのなかで生活が足りることを可能にします。・・・日本は交通静穏化にかけては、そもそも住宅地内の街路の多くが狭いために、アメリカのはるか先を行っているといえるでしょう。/また、狭い道路は都市におけるヒート・アイランド現象を緩和します。・・・もちろん、都市において、ある程度の広幅員の道路があることは、物流面や緊急時において重要です。広い道路と狭い道路のほどよいバランスをめざすことが必要ではないかと思われます。(P173)