フジモリ式建築入門

 「フジモリ式」とあるように藤森照信ならではの建築史観が疾走。独特の語り口で数十万年前のアフリカの原野に作られた火を囲んだ野営から、ヨーロッパの新古典主義、歴史主義まで、日本の書院造、茶室、数寄屋造までを一気に語り尽くす。

 「建築は“人々の記憶の最大の器”」(P15)という決めつけも大胆ならば、「建築の起源は住い。住いの起源は火。」という断定も大胆。そして、生命は大地から生まれ大地に還る“地母信仰”と、天空のかなたの太陽を崇める“太陽信仰”が建築の原動力とする見立て。

 さらに建築の歴史は、ヨーロッパ建築と日本の住宅建築をたどれば足りるとして、それぞれの歴史を語る。ヨーロッパ建築史の捉え方も大胆。古代ギリシャから始まり、アーチを発明したローマ、初期キリスト教、ドームのビザンチン、ロマネスク、ゴシック、晩期ゴシックで終わる第2期。ルネッサンスで始まり、マニエリズム、バロック、ロココで終わる第3期。一方、日本の住宅建築は、竪穴住居と高床式が基本となり、貴族の寝殿造、武家の書院造が生まれ、さらに茶室、数寄屋造へと展開する。重要なのはこれらが常に並列して存在するということ。ちなみに民家はなぜ地域それぞれの形式になったかの答えに「たまたま」と答えるのもフジモリ式。さすが。

 とにかく藤森史観で貫かれた疾駆の建築入門書。私は図書館で借りて読んだが、一家に一冊蔵書しても惜しくない。東大ではこんな建築史を習っているのだろうか。とにかく面白く、かつよくわかる。歴史の解釈は万人に開かれている。

●建築とその集合としての町並みは、古くからあり、デカくて、長持ちし、そして美しい。この四つの力が力を合わせ、日頃それに接する人の記憶に残り、アイデンティティを保証してくれる。“懐しさ”の力。/建築はふつう、人の暮しと活動を風雨風雪や外敵から守る実用の器と考えられているが、浅い考えで、本当は、それ以上に、“人々の記憶の最大の器”(P15)
●ローマ建築は・・・、内部空間の発生、天上界の実現、構造表現、の三点によってギリシャ建築と十分並ぶ貢献をした。・・・ローマはアーチを得てローマとなった。(P98)
●この200年間に、近代という決定的な時代が強力に進行し、政治から科学・技術まで根底から変わったにもかかわらず、建築はそういう変化を無視し、過ぎた歴史の中をさまよっていた。だから創造性を失ったのだが、でも、逆にいうと、建築は、政治や科学・技術と切れても実は成り立つことを意味する。・・・建築には建築そのものに内在する変化のルールがあり、そのルールと、政治や経済・技術との間で建築の姿は決まるのではないか。(P170)
●民家は、神殿や教会とちがい、時代や時代の思想の及ばない普通の人々の無意識の世界と深くつながっている。・・・建築は記憶と美の器。民家は生活と無意識の器。(P175)