災害の住宅誌

●災害に見舞われた人々は「生活拠点」を移動せざるを得ない。災害に見舞われれば移動するのだ、ということを予め建築のプログラムの中に組み込んでおけば、災害後に移動することを当然のこととして受け入れることができる。その場合、「持家」というシステムが日本において適当な住宅の所有形態なのかということについて再検討する必要がある。いずれにしても、この災害は、日本の建築文化が大きく変化を遂げ、自然災害が少なかった高度成長期に新たに産み出された建築に対する、これまで抱いてきた、すまいに対する「さまざまな幻想」を打ち砕いた。 ・・・この災害からの回復については「復興」よりも、生まれ変わるという意味で「再生」という言葉が適切である気がしている。この災害を、高度成長期・バブル期を経て大きく変化した日本の建築を、商品として購入するのではなく、また専門家任せにするのではなく、生産活動に自らも責任をもつ、消費財としてではなく長く使える良質なストックとして整備し、「所有する」のではなく必要に応じて移動し「利用する」システムをもつ「定常状態」への建築へと「再生」する転機とする必要がある、と改めて根本から考え直すべき、時代に移行したとも言えるのではないだろうか。(P158)

 長い引用になってしまったが、「第7章…東日本大震災」の最後の一節である。これで本書の全てを言い表しているとさえ言える。

 「災害に見舞われれば人は移動せざるをえない」。まずはこのことを、インドネシアでの津波被害やハリケーンカトリーナの洪水被害に襲われたニューオリンズの事例を引いて説明する。いや、海外だけではない。阪神淡路でも新潟中越でも、被災した人々は必ずしも被災地に戻ってはいない。一時的にしろ移動し、そして何割かの人々は現地に戻ってこない。

 避難所や仮設住宅の形態はさまざまだ。公共施設を避難所に開放するのは必ずしも一般的でなく、日本独自のシステムらしい。仮設住宅についても住宅のコア部分だけだったり、学校・病院等の公益施設だけを設置し、後は避難民の自主建築に任せることが多い。

 こうした事例を紹介しつつ、鴨長明方丈記を引き、「日本では『すまい』とは『常ならざるもの』ではなかったか」と問う。これらは何も昔に倣う、未開発国に倣うということではない。ここで筆者は「リジリエンス」という概念を紹介する。「弾性、回復力」という意味だが、防災力はこれまで行われてきたように「抵抗力」を高めるだけでなく、「回復力」を高めることも必要だという指摘である。「常ならざるすまい」とはまさにそうした概念の下にある。

 と同時に、日本の高度成長期は自然災害が少ない時期にあって達成されたものであり、この時期に持家システムが構築され、住まいに対する人々の意識を大きく変えてしまったことを危惧している。それは前述の引用のとおり、「幻想」ではなかったかと。

 末尾の「謝辞」によれば、筆者は建築史、アジア建築生産、そして防災とそれぞれの専門を研究し今に至っているという。その経歴が本書にもよく現れている。自然災害増加期に入り、我々は自然災害にどう付き合い、どう認識すればいいのか。そろそろ東日本大震災からの災害復興が人々の関心を集め、また被災しなかった地域でも「事前復興」という言葉が語られるようになってきている。そのとき本書に照らして参考になり、また肝に銘ずべき事柄が多く書かれているように思う。

 「しなやかにすまう」。これが「すまう」ことの本来の姿であるべきである。

●日本の人口は2004年をピークに減少に転じ、今後発生が予想される東海・東南海・南海地震や首都直下地震では、人口減少社会の中で災害からの回復を成し遂げる必要がある。災害を契機により良い社会を構築するということは重要であるが、災害からの回復のベースラインは「地域の生き残り」ということにあるという認識を持つ必要がある。(P114)
●災害はその地域で将来発生することが予想される問題を先取りして発生させると言われる。2004年新潟中越地震は、特に中山間地域において人々の地域からの転出の契機となり、地域の人口変化を20年早めたと言われる。(P128)
●自力ですまいの確保に関わるということ、自力で仮住まいを確保し建設するということは、この「支援する人」「支援される人」という構図を完全に覆すものであり、そのことが災害から回復していく上で不可欠なプロセスである。・・・災害からの回復を達成するためには被災した人々が主役となって地域の再建を進めていくことが不可欠であり、まずその一歩として仮住まいの確保、住まいの再建、生活の再建について自分達が決定することができる仕組みを作っていくことが重要である。(P153)