建築少年たちの夢

 団塊の世代生まれの建築評論家・布野修司が同年代からやや上の年代の日本の建築界をリードしてきた建築家9名を取り上げ、彼らとの交流を振り返りながら、その足跡と建築論等を紹介する。取り上げる建築家は、安藤忠雄藤森照信伊東豊雄山本理顕石山修武、渡辺豊和、象設計集団、原広司、磯崎新の各氏。各章は、(1)○○の軌跡、(2) ○○の建築論、(3) ○○の建築(設計)手法の3項目で構成される。

 東大紛争時に東大に入学し、「雛芥子」をベースに建築活動を展開した筆者の周りには、東大系列の諸氏(藤森照信伊東豊雄、象設計集団(富田玲子等)、原広司、磯崎新)のみならず、早稲田の石山修武東京芸大山本理顕とも大学研究室や建築評論の場で様々に邂逅する場面があったと言う。

 建築論の紹介では、渡辺豊和や原広司、磯崎新など非常に難解なものもあるが、「安藤建築の出発点は、名建築をトレースすること」などスパッと切ってみせるところはわかりやすく共感する。ただ、自己の経験とごっちゃになって語られるので、建築家論を読みたい向きにはやや雑音が多いかもしれない。

 それにしても、団塊の世代から上の年代は、建築論を「語る」ことができた世代であった。文中に「若い世代では古谷誠章」という箇所があり、世代の違いを感じた。既に建築は言葉で語る時代ではなく、実作で(若しくは活動で)示す時代となったのかもしれない。

 私の布野修司観は、アジアの建築研究者というイメージだったが、本書では建築評論家・布野修司をアピールしている。あとがきでは「後は続く世代に期待したい」と書いており、最後の建築評論のようだ。安藤や藤森を同年代として眺められ、かつ磯崎や原広司を先行者として見ることができる、いい年代だったのだなあと羨ましく思う。

●安藤建築の出発点は、おそらく名建築をトレースすること、なぞること、そして、それを敷地に適応させることであった。「おまえの建築はレファレンスである。それが直喩ではなく、引喩だからいい」とR.ピアノにいわれている。(P34)
●結局、藤森にとって、歴史研究とは、歴史的建造物のインヴェントリーをつくって、その様式とそれを支える諸関係を整理することにとどまるのであろうか。/藤森は、自ら建築の行方を示すべく、建築をつくる現場へ赴いたように思える。(P74)
●社会あるいは都市との関係を、また状況との関わりを、伊東豊雄は一貫して自らの思考の基礎に置いてきた。・・・結局、自分の依拠する文脈は現実の都市だと書く。・・・伊藤の建築意欲にパワーを与え続けているのは、現実の都市のヴァイタリティといえるであろう。(P106)
石山修武は、生き方そのものを露出し続ける「表現者」なのである。(P189)
●「象」の組織論、設計論にはサッカーがある。すなわち、建築もサッカーも個々の想像力・創造力を集団的にまとめ上げるという共通点がある。(P244)
●原広司が自ら身を置いてきたのは、建築そのものの永久革命のような場所である。(P300)
磯崎新は、あらゆる領域、あらゆる既成の枠組みを否定し、批判し、それから逃亡し続けている。「建築」あるいは「建築家」という枠組みに対しても、である。(P304)