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小布施と松代のまちなみ

まちなみ・あれこれ

 志賀高原から南下して、奥山田温泉に宿泊した。秘湯の宿「満山荘」は温泉もさることながら、料理が絶品。日に何度も温泉に入り、のんびりとした1日を過ごした。その帰り道、小布施と松代に寄ってきた。

Dsc01546 小布施は8年前、夏の志賀高原の帰りに家族で歩いたことがある。その時の覚えを元に、今回は北斎観横の駐車場にクルマを留め、のんびりと景観を楽しむ。広場は中高年の人々でにぎわっている。傘風楼テラスで栗ソフトを食べながら笹庭を楽しみ、栗の小径を歩き、幟の広場を見、小布施堂本店で栗菓子を買う。陣屋小径を歩き、あかり博物館の中庭を通って、枡一市村酒造場横の小路を抜け、傘風楼テラスに戻る。妻は地元農産物市で桃とリンゴを買う。のんびりとした時間を過ごすことができた。 Dsc01559

 その後、小布施PAから高速に入って松代まで走る。前に来た時は夕方の4時近くで、多くの施設が閉館間近。真田邸は復元工事中で、外観だけを見て回った。この日は余裕があったのでまずは復元なった真田邸から。真田と言えば真田幸村が有名だが、松代は父・昌幸や弟・信繁(幸村)と別れて徳川方についた信之の流れをくむ。この真田邸は松代藩9代藩主・真田幸教により、義母・貞松院の住居として建てられ、真田幸教が隠居後の住居としたもの。明治以降は真田家の私邸として使われていたが、戦後、市に寄贈された。真田十万石まつりの際には、東京に住む真田家の現当主が真田信之に扮して武者行列に参加するとのこと。

 その南にある旧樋口家住宅は修復され無料公開されている。茅葺の屋根が美しい。入口に武者鎧が飾られている。NPO法夢空間松代のまちと心を育てる会が管理され、絵手紙展やお月見のつどいなど、様々なイベントに利用されている。 Dsc01564

 真田邸の南の通りを西に歩くと、道がカギ状に折れて、右に文武学校、南に旧白井家表門がある。まず文武学校へ。文武学校は嘉永61(1853)年に建設された藩校で、剣術所、柔術所、弓術所、槍術所などの武道場と文学所などの教室が並んでいる。剣術所、槍術所などは中央の広い板敷きの道場を囲んで畳敷きの間が並ぶ間取りで、現わしの高い小屋組みが豪壮だ。また文学所は大広間の脇に6畳程度の小部屋も並び、当時の教室の情景がしのばれる。弓術所では実際に的に向かって練習をしている人がいた。

 ただ広い。疲れて向かいの旧白井家表門へ。ここでボランティアの方たちがお茶の接待をしていた。お菓子も出していただき、しばし歓談。この門はもう少し東にあったものを移築したとおっしゃっていた。この向かいにある黒塗りの立派な門と腰板壁のしっくい塀は旧真田勘解由邸。住宅主家等が登録有形文化財に指定されている。

Dsc01566 次に向かったのは、旧横田家住宅。約1,000坪の中級武士の屋敷だが、建物から庭園、菜園に至るまでほぼ完全に残っている。江戸時代末期の建築で、茅葺の屋根の曲線がなまめかしい。庭園に向かって雁行して座敷が連なり、微妙に景観が変わるのも面白い。離れの隠居屋も風情がある。

 入館4時半までということで先を急ぐ。山寺常山邸は旧横田家住宅からさらに南、象山山のふもとにある。山のふもとを流れる川の水を巧みに取り入れ、山を借景にした庭園が特徴的。松代では佐久間象山と並んで松代三山の一人と言われる山寺常山の邸宅。ただし表門(江戸末期)と書院(大正末期)以外は建物は残されていない。

Dsc01571 最後に向かったのは、旧前島家住宅。こちらは町の東部。寺院が連なる御安町のさらに東のはずれにある。前の道はカラー舗装で整備され、敷地との間に水路が流れている。主屋は宝暦9(1759)年建築で、この日見た中では最も古い部類になる。元は茅葺だったそうだが、今はトタンで囲われ、下部に瓦葺きの庇が回る端正な外観。庭には心字池があり、また敷地内に三社(神祠)も祀られている。ここもボランティアの方が管理され、気持ちよく見せていただいた。

 以上、駆け足で松代の保存建築物を見て回った。エコール・ド・まつしろという生涯学習の活動が盛んで、真田家以来の伝統の町並みが市民の手でよく保存されている。これらの建物が市内に散在し、まとまって町並みという形になっていないのが残念だが、地域の人々とのふれあいが松代の最大の魅力である。

●フォトアルバム「小布施・松代の町並み」