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田原市へ「農業ごと疎開」の勧め

 田原市のまちなか整備の方向を検討する研究会が開かれた。学識者の方々がさまざまなビジョンや方策を話され、地元の方も旺盛に応えられ、活気のある時間だった。私もつまらない字句の修正指摘に加え、いくつか思いついたことをしゃべった。みんなもそうだが、東日本大震災に触発された着想が浮かぶ。私から話したことや心に残ったことをいくつか書き留めておきたい。

 参加する前から話そうと思っていたことの一つが「菜の花」だ。先日、女子高校生たちが菜の花を手に浜岡原発反対のデモ行進を行い、中部電力に申し入れをしたという話が「池田香代子ブログ:菜の花革命」に載せられていた。

 田原市は愛知県内では有数の風力発電を推進している自治体だ。市内には10数機の風力発電機が設置され、日々発電を行っている。また、たはらエコ・ガーデンシティ構想を平成15年度に公表し、菜の花エコプロジェクトなど多くの取り組みを進めている。実際、菜の花は田原市に早春を告げる野の花で、毎年1月には菜の花まつりも開催されている。

 「反原発を推進しろ」というつもりはないが、「菜の花」を田原市のキャッチアイテムとして、エコシティ施策を推進することは重要だと考えている。

 話し合っている中で出てきたもう一つの重要なキーワードが「健康」だ。町村合併により伊良湖岬の先端まで渥美半島全体が田原市となった。太平洋岸に沿って渥美サイクリングロードが整備され、毎年9月には全国的規模のトライアスロン大会も開かれている。また、太平洋に直接面する表浜海岸は全国有数の波ポイントの一つであり、サーフィンの世界大会も開かれているほどだ。市内に住みつくサーファーも増えているという。外者はまちづくりの重要なキーパーソンだ。「健康」をテーマとしたまちづくりは、田原市にもっともふさわしい。

 私からは、都市整備を推進する中で目立ってきた空き地をいかにコントロールしていくかが重要だということを言わせてもらった。開発圧力はもちろん高度成長期のような急激なものではないが、周辺地域に比べればはるかに高い。特に都市計画道路の整備もようやく終わると、今は「骨粗鬆症の町」と卑下していても、あっという間に空き地が建物で埋め尽くされる可能性がある。某先生から「埋め込み型宅地開発」という言葉をいただいたが、そのコントロールは市にとって今後重要な課題の一つになると思っている。

 さらに、このエントリーのタイトルにも掲げ、この記事を書こうと思った最大のテーマが「農業ごと疎開の受入れ」だ。

 田原市トヨタ自動車(株)とその関連企業等の工場立地により近年急速に発展してきたまちだ。だがその前には、豊川用水の開通により農業のまちとして発展してきた歴史がある。何と農業出荷物の市町村別産出額では全国一を誇っている。主な作物は、キャベツやブロッコリー、レタスなど。また渥美町を合併し、温室メロンなどの果物に加え、電照キクで知られる花卉栽培も盛んだ。さらに、牛や豚、鶏、ウズラなどの畜産も盛んでブランド化も進められている。食料自給率は100%を越えている。

 しかし一方で高齢化とともに離農する農家も増えており、遊休農地も少なくない。今、福島県や茨城県では、放射線の影響で出荷制限や摂取制限のかかる野菜や原乳が出てきている。福島原発の最終的な処理にはまだ数ヶ月から1年を越すような時間がかかると言われている。また、出荷制限がかかっている野菜だけでなく、農業全体がいわゆる風評被害により苦戦している状況にある。

 こうした中で、国や茨城県などの各県では、農家の損害を最大限補填し、将来的な復興を支援する方向で考えていると思う。しかし、放射線被害という長期にわたり影響を及ぼしかねない状況の中では、今までと同様に元どおり復興するには相当な期間がかかるし、その間の損害を補填し続けるというのも相当に大変である。

 人だけがとりあえず避難する疎開はまだ簡単だが、疎開先での雇用の問題も語られ始めている。しかし、農業などの土地に張り付いた産業の場合はそう簡単にはいかない。一方で、茨城などの産地で高い収益率を挙げていた農家の技量は捨てるには惜しいものがある。

 であれば、当面、遊休農地や農業関連施設のある全国の農村等へ「農業ごと疎開」するということが考えられてもいいのではないか。もちろん、被災地の自治体にとっては不本意であり、また復興の意欲を削ぐ不謹慎な提案だと言われるかもしれない。しかし、情報だけでなく実際の農業技術を持って疎開し、現地の農家と交流することは、被災農家とっても益があるに違いないと思う。少なくとも被災に伴い、農業を廃業したり、損害賠償でもって生活するよりは、はるかにましだ。

 ひょっとしたら、東北・北関東産の野菜の出荷が低迷する機会に、販路の拡大を狙っている全国の産地があるかもしれない。それももちろんアリだと思うが、それならぜひ「農業ごと疎開の受け入れ」を考えてほしい。