居住福祉におけるバウチャー・システム

 日本福祉大の丸山教授に話を伺った。内容は「居住福祉のバウチャー・システム」。先生には5年前にお会いした時から「アメリカ型の住宅バウチャー制度の導入が必要」という持論をお聞きしていたが、当時は「バウチャー?What?」という状態で、全く理解できなかった。

 バウチャー(voucher)とは、辞書を引くと「伝票」「領収」と出てくる。特定の受給資格者に対して配布される配給券と理解していたが、先生によれば、本来はcertificate「取引証書」のことで、オンライン取引が普及したことにより「voucher」の使用が普通になったのだそうだ。先生は「用途を限定した公的な支払証書」と定義されていた。

 それでは、「バウチャー・システム」とは。これについては「社会保障計画の一環として、公的扶助受給資格のある人々が選択の自由を行使して民間部門の財・サービスを利用し、その代金の全部または一部を公共部門が当該世帯に対する社会手当支給の形で支払うシステム」と書かれている。利点は、社会サービスを国家独占から開放し、民間部門の自由参入が図られる点を強調している。経済学者らしい観点かもしれない。

 アメリカの教育バウチャーが有名だが、EUでは、失業者に対する訓練・教育のためのバウチャーや雇用者に対して一定金額を支給する雇用バウチャーが提唱された。これは、雇用者が賃金の一部を雇用バウチャーで補填することが可能であり、雇用促進に直接的効果があるということだった。

 アメリカでは、公営住宅が非常に限定的にしか存在しないため、セクション・エイトにより導入された住宅バウチャーが実質的・唯一の住宅セーフティネット制度になっている。このプログラムには「プロジェクト・ベース」と「テナント・ベース」の2種類があり、後者は、資力調査を受けた低所得者に対して、家賃と所得の30%との差額をバウチャーとして連邦政府が支払うもの。ただし、大家側にも資格審査があり、一定の実績等が必要になる。

 テナント・ベースの場合も含めて、受給者の人気は高く待機リストは34年に及んでいると言う。逆に、34年で順番が回ってくるという点が理解しがたいと思ったが、どうやら、スラム化対策として住宅バウチャーだけでなく、医療や雇用、教育などの生活支援も一体となって取り組むことで、住宅バウチャーから抜け出す世帯が一定程度あるということのようだ。

 現在の日本では一旦、底辺層に落ち込んでしまうと、そこから抜け出すのは相当に大変という感覚があるが(考えてみるとこうした格差固定感は、最近になって急速に日本人に刷り込まれた意識かもしれない。)、アメリカの社会構造はいまだにある程度流動的ということだろうか。丸山先生が指摘されていたのは、アメリカの社会格差の状況は底辺層にかなり集中しており、黒人などでは貧困率は25%以上になるという。日本でも貧困率は15%を越えたとして一時、新聞にも取り上げられたが、このあたりの認識が今ひとつ実感を持てない。

 もう一つ留意したいのが「資力調査」だ。日本の公営住宅では、収入調査しか行っておらず、大きな金融ストックを保有する年金生活の高齢者などの入居を排除できない。しかし住宅バウチャー受給資格審査において実施する資力調査では、資産調査も実施しているという。これには総背番号制が導入され、簡単に預貯金等の資産も把握できることが背景にあるようだ。これはヨーロッパの家賃補助制度においても同様。先日お聞きした角橋先生もオランダの社会住宅制度においても同様のことをおっしゃっていたように記憶する。

 同席者の話によると、プロジェクト・ベースの住宅バウチャーは、スラム化する事例も多いと言う。34年の待機が必要になるということで、予算が必要額に満たないという状況が窺えるが、一方で大家側の制約もある。大家とすれば、貧困層が住み着きスラム化して資産価値を落とすことは避けたい。結局、住宅バウチャー利用可能として登録する住宅は、空家が多い住宅か、プロジェクト・ベースで初期リスクの軽減を図りたい場合ということのようだ。ちなみに登録住宅について、住宅面積等の要件はなく、あくまで大家の実績や資力等だけが規定されていると言う。

 結局、低所得者の状況、予算の状況、そして住宅供給側の事情がうまく絡んで、一定のところに落ち着いていると考えればいいのだろうか。最近、日本でも民間賃貸住宅の空家活用が言われ始めている。公営住宅としての借り上げを公明党などは主張しているが、自治体の財政状況も厳しく、実施できる自治体は限られるだろう。賃貸住宅業者に乗せられて相続対策でアパートを建設してしまった大家救済といった雰囲気もあり、胡散臭い感がしないでもない。しかしアメリカ型のバウチャー制度であれば、入居者・予算・住宅登録状況の三すくみの状況が意外にうまいバランスを生むのかもしれないと淡い期待を感じた。

 丸山先生の話は、その後イギリスの住宅制度に移っていったが、多くはこれまでにも聞いていた話と同じなので省略。

 最後に、住宅バウチャー・システムの長所として、(1)民間賃貸市場の活用、(2)公営住宅の建設を忌避し、住宅困窮者対策を隣接自治体に依存する行政のモラルハザードの防止、の2点を、短所として、(1)現状の縦割り行政に対応しづらいこと、(2)技術職員が不要となることによる地方自治体の行政改革の必要、の2点を挙げられた。

 問題は現行の公営住宅中心の制度からどう転回をするかである。先生からは、公営住宅を建て替えて市場家賃住宅とし、従前入居者に住宅バウチャーを適用する方法が提示されていたが、建替が遅々として進まない状況や当面、従前入居者だけに受給者を限定する点に課題が残る。

 しかし、ヨーロッパ型の家賃補助よりもアメリカ型の住宅バウチャー制度の方が、多くの民間賃貸住宅があり、かつ空家が増えているという点で、日本の現在の住宅状況に適合的かもしれない。いい話を聞かせてもらった。さらにいろいろ考えてみたい。