「スクラップ&ビルド&メンテナンス」と「公共賃貸住宅の100年経営」

 ずいぶん前の話題で恐縮だが、建設通信新聞の元旦号に著名学識者へのインタビュー記事がいくつか掲載されていた。そのなかで、経済学者の松谷明彦氏の主張が目を惹いた。

 興味を持った部分は次の二つ。(1)減少する人口局面において、最適な都市規模なんてものは存在しない。(2)公共賃貸住宅を国債で建設すれば、償還金は必ず家賃で回収できるのだからどんどん建設すべし。

 もっともインタビュー記事であり、話はあっちこっちに飛んでつまみ食い状態で、業界紙ならではのいいとこ取りもありそうだし、加えて私の恣意的な読み取りの部分も大いにある。

 (1)は、人口・世帯は日々変化するわけだから、それに見合った都市の規模も日々変化せざるを得ない。インタビューでは、集約型都市の構築というテーマに対して、「(人口に対して)最適な社会資本を造ったとしても、人口が減少するのだから、翌日にはその社会資本は過剰になる。人口規模に対して社会資本は年々課題になる」と答えたもので、正論ではあるが、では社会資本整備の規模はどうすればいいのかという点については答えていない。

 それどころか、見出しは「社会資本は人口に応じた最適規模がある」とデカデカと載せられているのはさすが業界紙。前後を読むと、「計画的なスクラップアンドビルド」と「規模に応じてサービス方法を変える」という内容が紹介されているから、答えはそのあたりか。

 それにしても「減少する人口局面において、最適な都市規模なんてものは存在しない」と考えれば、都市インフラは「常に」不適な状態から最適な状態を目指して維持・整備・廃止していくしかないわけで、スクラップ&ビルド&メンテナンスを将来を見越しつつ、不断に続けましょうという(ある意味身も蓋もない)話になる。

 (2)については、民間賃貸住宅の場合はせいぜい1520年で投資回収しなければいけないが、公共賃貸住宅ならば住宅の耐用年数一杯で回収すればいい。「建物の耐用年数が100年であれば、100年で償還する国債を発行すればよい」というのだが、どうだろう。

 住宅の耐用年数がどれだけかと問われても、戦後まだ65年。建設後100年以上経過した共同住宅など日本にはないし、ハードとしての構造体は100年以上維持できても、科学技術の進化や生活様式の変化にいつまでも追従できるかどうかは定かでない。国交省が200年住宅なんて言っているからそれに乗った安易な放言と見ることもできる。

 しかし重要な点もある。それは、住宅は道路などの土木構造物と違って、確実に家賃という収益が見込まれるということ。家賃で起債償還額のどれだけがまかなえるかは家賃額をどう設定するかで変わるが、少なくとも使用料収入が全く見込めない公共施設の起債とは異なる扱いがあってしかるべきだ。

 「公共賃貸は耐用年数で投資回収」とするもう一つの理由は、100年使用できる住宅を1世代の2030年で償還する持家は、個人にとって「過大投資」だという指摘である。これも正論で、安定した社会で一つの家系が綿々と続いていくのであれば、資産を築いた世代が邸宅を造り、その後何代も相続して利用していくこともあり得るが、それができない(そういう幸運に恵まれなかった)庶民は、100年償還で計算された家賃の賃貸住宅に居住することが合理的だ。

 その役割を公共が果たそうと言う提案だと受け取ったが、現実には公共賃貸住宅の経営は地方自治体に任されており、最近の自治体はこうした百年の計で財政運営する体質でなくなってきている。結果、松谷氏の提言は財政部局や昨今の大衆迎合的な首長には無視されることになるだろうが、本当は傾聴し住宅政策に生かしていくべき提言のような気がする。

 PS.

 とここまで書いて、ちょうど今、松谷氏の最新刊「人口減少時代の大都市経済」を読み終えた。その終わり間際(P273)に、公共賃貸住宅の拡充の提案が書かれていた。そこにはさらに大胆な提案がされている。それは「高齢者・・・の持家を国なり地方自治体なりが買い取り」公共賃貸住宅として貸し出せというものである。

 本書の発想の一つは、人口減少時代にはより低い生活コストで豊かに生活できる公共システムが必要だというものだ。持家という過大投資のロスを社会的に縮小する方策の一つとして提案されている。

 前のエントリー持家政策を評価する視点と公共住宅の役割で、同志社大学の菅准教授の持家政策を再評価する論文を紹介したが、正反対の提案である。人口減少時代の到来という未曽有の国家的状況の前では、欧米や前例に捉われない大胆な発想が必要かもしれない。