公共住宅団地の高齢化を考える

 世の中「高齢化ばやり」である。年金問題、介護福祉の問題、地域の衰退・・・。さまざまな事柄が高齢化に結びつけられて問題とされている。それはある意味、事実だが、それを課題と考えるかどうかは、課題視する側の事情や意識に拠る。事象に伴う将来像を描き、対応可能な条件を踏まえ、現実的な解決策を考えることが必要だ。課題を騒ぎ立てても、解決するわけではない。条件を満たさない解決策を振り回しても、関係者を困らせるだけで、現実的な解決にはつながらない。実は関係者を困らせることが、課題や解決策を騒ぎ立てる本当の目的だったりする。それは本当に困るのだが・・・。

 で、書きたいのは、公共住宅団地の高齢化は本当に問題か、ということである。

 ニュータウンの高齢化が指摘されるときに、その要因として、開発時に集中的に居住を開始した世代の一斉の高齢化ということが言われる。公共住宅団地の高齢化も恐らく同様の現象が多少小さい単位で発生している、と捉えることができる。

 日本の人口自体が高齢化している。団塊の世代の高齢期突入とともに一段と高齢化率は高まっている。数年前、過疎の町で働いたとき、面白いことに気付いた。過疎の町は団塊の世代が高齢期になっても、町の高齢化は進行しないのだ。なぜなら団塊の世代がいないから。高度成長期に都市部へ大量移住した結果、過疎の町の人口ピラミッドには日本全体の人口ピラミッドのような歪な膨らみがない。もちろん高齢者率は既に高い率に達していたわけだが、将来的な高齢化率は都市部よりも低い率になる可能性がある。つまり高齢化率は地域的に偏在しているのだ。

 ところで、60歳を過ぎると途端に介護が必要になるということは全くない。もちろん介護が必要な者の割合は年齢とともに高まるが、最近の高齢者を見ていると、75歳までは比較的元気な方が多い。

 ちなみに、東海学園大学の三宅先生の論文によると、高齢者の年齢別・介護度認定者の比率は、6569歳で約3.5%、7074歳で約7%、7579歳で約14%、8084歳で約28%、85歳以上で約56%と倍々で増えていくそうである。ただし、これは要支援と要介護を加えた数字で、要介護2以上の重介護者はこれらの数字の約半分程度だという。しかも母数は、高齢になるほど死亡するので、どんどんと減少していく。高齢化に伴う介護福祉の問題を論じるのであれば、要介護者の割合と実数に関する推計が必要である。

 高齢者と言ってもかなり元気なのだ。世間では、元気で裕福な高齢者をターゲットにしたビジネスが花盛りだが、介護福祉問題を課題とするのであれば、介護が必要な高齢者と介護を行う人の割合を考えた方がいい。そして介護を行う側の人間は必ずしも若い人ばかりではなく、高齢者も勘定に入れればいい。

 公営住宅の自治会から「高齢者ばかりになって自治会活動の担い手がいない」という話をよく聞く。しかし若い世帯が増えたとしても、彼らが自治会活動に担い手として期待できるか疑わしい。外国人世帯ばかりだからではない。今の若い世帯の多くは共働きだからだ。若しくは片親世帯だ。妻が専業主婦をして低所得でいるのは、かつては当たり前だったが、今では考えられない。低所得であればなおのこと、主婦も働きに出る。若い世帯も忙しいのだ。自治会活動を担っている余裕はない。

 しかして、余裕がある人たちがいる。元気な高齢者だ。

 実は、彼ら(男性)が若いときには、自治会活動は妻に押しつけ、企業戦士として戦ってきた。自治会の役員は当時も高齢者だったが、担い手は専業主婦たちだった。自らが自治会の役員になったとき、団地には専業主婦はいなくなってしまった。当時自治会活動を担っていた自分の妻たちは、自治会活動などもうまっぴらだと言っている。なにより彼女らには、自分の世話や遊びの相手を務めてもらわねばならない。自分自身が担い手の勘定に入っていない。高齢者は担い手になれないと、端から勘定に入れない。その方が自分自身にお鉢が回ってこなくて都合がいい。結局、「高齢者ばかりで自治会活動の担い手がいない」という話になる。

 しかし、もっとも時間に余裕のある人は自分たち、高齢者である。もちろん、30代・40代の専業主婦のように能率的には仕事が捗らないだろう。だが時間は腐るほどある。病院へ通ったり、日本全国を旅行して回ったり、子供・孫世帯の世話をしたり、仲間でゴルフや趣味に興じたりしている時間の一部を割いて自治会活動に充てれば、かつてよりもはるかに多くの(自治会活動を担うことのできる)時間と人があるはずだ。

 もちろん元気な高齢者もいつかは介護が必要になり、また亡くなったりする。高齢化率は高いのだから、将来的には要介護者率も高くなるだろう。しかし、それは将来のことだ。「居住者の自由時間の合計」に対する「要介護者率」の割合は、当面しばらくの間は低下を続けるのではないだろうか。これが上昇し始めたときこそが、本当の高齢者問題だと思う。

 一方、「居住者の自由時間の合計」に対する「被保護者率」(幼児など保護が必要な人の割合)の割合はかつての高度成長期の方が、はるかに高かったような気がする。もちろん自由時間を行使できる人のパフォーマンスの問題もあるので、一概に割合だけでは論じられないだろうが、「高齢化=社会問題」と即断するのは問題ではないか。