団地の時代

 政治思想史を専門とする原武史。直木賞作家である重松清。昭和3738年生まれの同学年の二人による「団地」をめぐる対談集。

 原武史が書いた「滝山コミューン1974」を中心に、団地の同質性に根ざす政治性の観点から公開対談した「対話のまえに」に続いて、こちらはホテルの1室で行われた4つの「対話」を集めて掲載している。

 各「対話」はそれぞれ、「東京の団地っ子と『非・東京』の社宅の子」、「団地の西武、一戸建ての東急」、「左翼と団地妻」、「団地と西武が甦る時」というタイトルが付けられている。

 東京の団地で生まれ育った原と、転勤族の父親とともに地方の団地を巡りながら成長し、大学進学とともに上京して東京で暮らすようになった重松。最初は二人の経験と団地観を語ることで、団地の持つ多様性を明らかにし、併せて、高度成長期という時代性を見ていく。

 「『定期券』という制度が隠蔽するもの」(P49)。「日本の団地はなぜソ連型なのか」(P106)など、高度成長期が持つ集団的・社会主義的な性格が団地形成の中に潜んでいることを指摘する部分は、いかにも文系的視点で面白い。

 「対話Ⅲ」ではまさにそうした政治性と団地の問題について話題としていく。「社会主義の影響は?」(P140)、「団地と米軍基地」(P143)、「西武線と『赤旗まつり』」(P145)など。そこには団地の共同性が育んだ環境と遠距離通勤やいつまで経っても改善されない不便性などが影響しているが、その後、生活に根ざした政治性は意外と落ちついていく。共産党も思った以上に団地で支配的になるわけではない。

 「団地は社会主義、ニュータウンは資本主義」(P160)という段落があるが、そのニュータウンが時代の急激な変化に翻弄される中で、社会主義的な団地がその共同性を若者に評価され、意外に甦りつつあるという指摘は興味深い。

 建替事業に対する住民意識や自治会の役割について、UR団地に偏重し、必ずしも公営住宅も含めた「団地」として一般化できない内容に誤って認識している部分も見られる。また、「団地」と「マンション」、「団地」と「ニュータウン」と相対化する評価軸にも、多少違和感を抱かないでもない。しかし、全体的に時代の流れの中で変化していく団地の役割と評価が、専門家でないがゆえに思った以上に多くの事柄を巻き込んで表現されており、団地を作る側、管理する側から見ると、逆に新鮮に感じる視点も多い。

 「団地」をこうして同時代のモノとして見る世代が既に社会の中心となりつつあるのだと言う事実にも感慨深いものを感じる。取り敢えず、原武史の「滝山コミューン1974」をさっそく購入した。団地に潜む政治性をまずは読み、確認してみよう。

●団地は、僕たちが後追いで思う以上に、いわゆる戦後というものと密接に関係している。(P144)

●多摩平で、ボウリング場まで反対したお父さんお母さんは、そういう生理的な嫌悪感(立川が基地の街となり解放され、風紀が乱れたこと)を、子供の教育上良くないという論理にすり替えた部分もあるんじゃないのかなという気がするんです。「子供の教育上」というのがいろんな面で大義名分となって通用していて、今でも通用している。(P175)

多摩ニュータウンは広い分だけ商いも大きくなるわけですよ。・・・いい時は「第四山の手」みたいな感じで言われ、だめになったらもうゴーストタウンというように、身の丈でゆっくりと年老いていく、だんだん日が沈んでいくような感じではなくて、ストン! なんですよね。だから、・・・滝山団地は確かに負けっぽい感じだけれども、じつは穏やかに負けているという感じがするの。(P187)

●もともと大都市には、壁はあってもないような木造長屋が多かった。それに比べるとコンクリート造りの団地は、壁もしっかりしているから、隣の物音が聞こえず、プライベートな空間を確保できるというのが大きな売りだったわけですよね。・・・ところが実際に住んでみると、共同住宅に何千世帯もが暮らしていて、生活サイクルも同じという共時性や同質性が強く感じられてくる。自治会も全戸加入を前提として作られる。だから最初から、二律背反的なものが団地にはあったわけですね。(P191)

●そういう若い世代は、プライバシーよりもむしろ共同性を求めて団地に入りたいと思っているんでしょうか。/若い人の中には、それはあると思うんですね。・・・/プライバシーが守れることではなくて、コミュニティができるという、そっちの方が団地のメリットになってくる。一戸建てや民間のマンションがプライバシー過剰だとするなら、相対的に団地がいま一番開かれた形態になってきたのかもしれませんね。(P229)