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居住の貧困

 あとがきで、「戦前戦後を通じて、政治あるいは行政にとって、・・・住宅問題がマイナーな扱いしかされてこなかった」(P215)と言い、「本書によって住宅問題、とりわけ住宅政策に関心を抱く人が増えることを期待しています。」(P218)と書かれている。私も全くの同感である。

 Amazonの売上ランクを見ると(2010.1.28現在)、書籍全体で9,180位。「民家・住宅論」ジャンルで3位となっている。平山洋介の「住宅政策のどこが問題か」が全体で70,502位。ジャンル別で9位であり、このジャンルの本としては多くの人に読まれていると言っていいだろう。

 それにしては誤りが多いことが気になる。「地域住宅交付金が補助金時代の1/10になった」(まえがきP3)というのは移行時の予算計上上の現象で、実質は若干減に収まっているし、現実は予算執行に汲々としているのが実態だと聞く。

 また、「公営住宅の家賃が民間賃貸住宅と変わらない家賃となった」(P14)というのも誤り。その他にも「公営住宅に単身者が多いのは狭いからだ」(P48)とか、「公共住宅が狭いから、民間賃貸住宅も狭い」(P73)とか、「定期借家契約の公営住宅では更新時に近傍民間同種家賃に家賃改定する」(P210)など、噴飯ものの誤った記述が頻出する。これらが筆者の認識不足によるのかどうかしらないが、その意図に反して本書の価値を著しく下げているのは残念だ。

 日本の住宅政策批判に続いて、第5章では諸外国の住宅政策を紹介している。人権意識の違いが住宅法制に反映しているという主張は理解するが、国ごとの現状と具体の施策の実施状況はよくわからない。例えば韓国では普通世帯1400万世帯のうちの23.4%が最低居住水準未満(日本の2/3位の基準)だというから約300万世帯いる計算になるが、それに対して10年で100万戸建設する計画を絶賛されても、それって30年計画じゃんって思ってしまう。

 公営住宅制度について言えば、地方公共団体が事業主体であり、交付金が少ないから建設が進まないのではない。首長や住民等に住宅問題への関心がないことも大きいが、同時に地方公共団体に財政的・人的な体力がないことが大きな要因の一つだ。例えば交付金の充当率を80%位まで上げるなどの政策が有効だし、公営住宅建設事業が基幹事業となり、家賃補助などのソフト事業は基幹事業費の2割程度しか交付金の対象にならないことも問題である。筆者が指摘するとおり、国土交通省だから基幹事業の実施が不可欠かつ中心になってしまうのだが、できれば公営住宅建設に関わりなく有効な施策は交付金対象とすることが望ましい。

 せっかく多くの人に読まれているのなら、こうした実際的かつ即効性のある施策提案や問題指摘がされていればよかったのにと悔やまれる。

●災害は弱者を襲う。これは古今東西の災害に共通していることで、阪神淡路大震災でも明らかになった教訓です。・・・それがわかっているのなら、弱者の中から被害者が出るのを少しでも減らす努力がなされなければなりません。それが政治であり、行政の役割というものです。(P94)
●1950年6月に発足したのが住宅金融公庫です。これは戦後住宅の復興を国の手では行えないので国民自身にゆだねたことを意味しています。一般国民の住宅難を平等に解消する施策より、まず自力で居住改善可能な人たち、つまり富裕層に融資して、それらの人たちに自力で住宅を確保させることを優先したのです。戦後の住宅政策の主流となる持ち家主義はなお小規模ながら、実はこのときに始まったといっていいでしょう。(P103)
●仮に生存権の内容が国の裁量により決定されるものであるとしても、国はその裁量の中で最大の内容の決定をする責務を負っているはずです。最高裁判断は、生存権を積極的に認めるまではしないまでも、その実現に向けて不断の政策的関与を国に求めていると考えるのが妥当ですが、果たして国はこれまで、そういう努力をしてきたでしょうか。(P180)
●建設行政として展開されてきた住宅行政を社会政策として捉えなおすことが必要です。そのためには、その所管をとりあえず国土交通省から厚生労働省に移す。あるいは閣内に住宅担当相を置いて、住宅政策の一元化を図る。その転換が求められます。(P193)