読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

学会大会というものに参加して

 私は学部卒で、卒業論文も書かずに(卒業設計だけで)卒業したので、学会大会なぞトンと縁がなかった。就職後、必要があって(というか、恥ずかしいことに、割引価格で参考書籍が購入できるという特典につられて)建築学会に入会し、誘われて見学会や講演会に参加し、なぜか支部の委員もやらされたが、学問的な必要や関心があったわけではない。

 昨年からは都市住宅学会にも入会を誘われ、今年に至って、名古屋で大会があるというので実行委員にさせられ、見学会の実施と講義室の準備運営を担当することになった。

 見学会の様子は前に報告したとおり。個人的な関心も絡め、非常に有意義な見学会であった。

 私が担当した講義室では、2日目に博士論文コンテストと、引き続き、論文発表会が。3日目には午前中に論文発表会があり、午後からはワークショップが開催された。また2日目の論文発表会の後には、別の大講義室で表彰式やシンポジウムが開かれ、夜には懇親会にも出席した。

 初めての学会大会は、外部の者から見ると、驚くこと、興味深いことがいっぱい。学問世界の厳しさと閉鎖性を実感する3日間であった。

 2日目の午前中。博士論文コンテストには、計7名の博士号取得者が集まり、10分の発表時間、10分の質疑応答で進められた。10分ではさすがに短く、研究内容がよく理解できないものもあったが、そこは専門家の集まり。厳しくも的確な質問を浴びせ、発表者を問い詰めていった。「この研究のどこに学問性があるの?」「この施設を研究対象とした理由は何?」「課題に対する解決の方向はどう考えるのか?」などなど。

 私からしても、同様の疑問を感じたものもあれば、こう答えればいいのにと思ったり、第三者からすればなかなかスリルのあるイベントではあったが、学問の世界で生きていくのは大変だと実感した。

 2日目、3日目に開催された論文発表会は、コンテストに比べればまだやさしい。そもそも参加者が少ないし、会場から手が上がらないと司会者が適当に質問を投げかける。司会者のほうが大変だったかもしれない。しかし発表者の緊張具合も相当なもの。修士課程を終了し就職後、大会に合わせ修士論文の発表をしている者もいれば、社会人博士や修士、中には大先生による発表もあり、この場合は内容の如何に関わらず、報告者を立てた質問が飛ぶ。正直、あまりに当たり前の内容に、何の役に立つのかと思ってしまったけどネ。  発表会終了後、会場の其処彼処で発表者に寄り添って感想やアドバイスを述べ、名刺交換をする姿が見られた。こうした場でのつながりが一番の成果なのかと思った。

 夜の懇親会で、見学会にも参加された発表者と会話する機会があり、家族への負担や日常業務との両立の大変さなどを聞かせてもらった。それでも博士号取得をめざすというのは、それだけのステイタスに魅入られるのか、はたまた退職後の就職先対策か。いったん大学等で教員採用されれば、社会的地位を得て他人からも尊敬され、研究生活も比較的安楽に見えるのかもしれないが、最近の大学の先生は休講もほとんど許されず、事務作業も過重で、加えて出来の悪い学生を相手にするのはなかなか大変なようだ。

 2日目午後はシンポジウムである。この大会では「環境と共生した住まいと暮らし」と題して、名古屋市内でグリーンフェローという環境共生ビルを建設し12年になるという牧村さん、足助で定住生活を始めた南山大学経済学部の荒井先生、「ドイツ社会の環境共生の姿」というタイトルで、ドイツにおける環境法制や政府施策、エコ住宅地の現状報告等をされた滋賀県立大の水原先生という順番でパネラー報告がされた。

 荒井先生には足助で一緒に苦労したし、現状を知っているだけになおさら楽しく興味深く話を聞いたが、他の方もそれぞれ興味深い報告だった。その後、元愛知工業大学の曽田先生のコーディネートの下、コメンテーターとして明海大学の大杉先生から家族法の観点で、笠島淑恵氏から建築家の観点でそれぞれコメントがあったが、既にお三方からの報告の後で、さらに2つの視点からのコメントであり、論点が拡散してわかりにくい印象。曽田先生が何となく強引にまとめてしまったけど、大変でした。

 3日目のワークショップは別途報告したとおり。

 大会を通じて、非常に多様な課題やテーマについて研究し切磋琢磨している姿を見られたことが一番の収穫。中には何の役に立つんだろうという研究もあるし、内容について理解できていないことを指摘されれば返す言葉もない。ただ、研究者にだけ通じる学問的な態度や雰囲気というものがあり、一般人からすれば理解のしがたいこだわりやマインドが流れていると感じたのも事実。総じて言えば「学問の世界も大変だ」ということに尽きるが、なかなかに興味深い3日間ではあった。