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「白壁・主税・橦木」の町並み保存活動

 都市住宅学会全国大会(名古屋)の見学会で名古屋市の白壁・主税・橦木町界隈を歩いてきた。最近、通勤帰りにこの界隈を歩いていくこともたまにはあり、見慣れた景観ではあるけれど、改修し一般公開後、まだ入館したことのなかった建物に入ることができた。またこの地区で町並み保存活動を実践している白壁アカデミアの牛田さんから最近の町並み保存活動の状況を聞かせていただき、大変有意義な半日となった。 6415

 出発点は地下鉄「市役所」駅の出口。帝冠様式の名古屋市役所に愛知県庁、第9代名古屋市長・大喜多寅之助の旧邸である愛知県議員会館、旧名古屋地方裁判所の名古屋市市政資料館、カトリック主税町教会などを巡り、2時頃に最初の入館施設である旧春田鉄次郎邸に着いた。

 隣の春田文化集合住宅は外からしか見られないが、きれいに手を入れたお宅が垣間見える。旧春田鉄次郎邸は1階がフレンチ・レストランとなっており、見学できるのは主に2階の空間。ただし2階も1室はデザイン事務所が借用している。

6413 春田鉄次郎は陶磁器貿易商として財を成した人物で、武田伍一設計のこの建物は大正13年に造られ、平成11年に当主のご好意で(財)名古屋都市整備公社に貸し出され、一部が転貸しされている。レストラン部分の洋間の装飾がすばらしいと言われるが、2階の洋室も天井の漆喰模様やアールの付いた壁面との取り合わせ部分など、優美なやさしさにあふれている。

 続いて訪れたのが隣に建つ旧豊田佐助邸。豊田佐助はトヨタ自動車の現社長の祖父である喜一郎氏の父であり発明王の豊田佐吉の弟で、豊田紡績の社長を務めた人物。立派な鉄製の門の正面に洋館風の建物がデンと座り、その奥左手に和洋建築が並んでいる和洋併設の取り合わせが面白い。天井換気口の鶴に「とよた」のマークや格天井風の漆喰模様が質実剛健な感じがする。和室の金箔の襖の豪華さに目を見張り、2階の障子桟のデザインも面白く見た。

6417 ここで、牛田さんからこれまでの活動の経緯と現状について伺う。白壁・主税・橦木町の町並み保存については、昭和60(1985)年に名古屋市教育委員会が町並み保存地区保存計画を策定、原則2階以下、伝統的デザインの採用等を内容とする修景基準を定めている。

 私が初めて愛知建築士会主催の町並みウォッチングに参加したのは平成7(1995)年だから、もう14年も前のことになる。そのときには牛田さんも参加していたのかもしれないが、私はその後も時々この地区を訪れては、さまざまな活動の展開や町並みの変わりように驚き、また感心してきたに過ぎない。

 当時は井本邸と呼んでいた鐘木館の活動。白壁アカデミアによる講演会や研究活動。名古屋市による旧春田鉄次郎邸と旧豊田佐助邸の保存活用の取組み。そして二葉館の移築復元。こうしたある意味派手な活動の陰で、白壁・主税・橦木町地区にはマンション建設の波が押し寄せ、牛田さんたちによる地道な保存活動が続けられていた。

6431 牛田さんの話は白壁景観裁判から始まった。平成14(2002)年に積水ハウスが地区内に8階建て高さ30mのマンション計画を立てた。これに対して住民らは高さ20mを越える部分の建築禁止を求める仮処分申請を行い、これが名古屋地裁で採用されたのだ。しかしながら結局この仮処分は、積水ハウスが計画を7階建て高さ約25mに譲歩したことで住民の申し立てが取り消され、現在はその変更計画に即した建物として、地区内に聳え立っている。

 こうした状況を受け、牛田さんたちは「白壁・主税・橦木」町並み保存地区の住環境を考える会を結成。平成17(2005)年に「まちづくり憲章」を定め、住民に配布するとともに、主要な施設等に提示してきた。

6429 しかし、平成18(2006)年には大京が15階建て高さ47mのマンション計画を立て、住民説明を始めた。平成13(2001)年に名古屋市では広告・景観審議会条例が施行されており、これに基づき開催された審議会で大京の言い分は委員の不興を買い、結局、この土地は地元地権者の一人が購入し、現在はコインパーキングとなっている。

 牛田さんに言わせれば、この地区の住民は戦後近所付き合いがほとんどなく、コミュニティのない町だったと言う。しかしこうした事態が続く中で、ようやく地元住民からも町並み保存活動に主体的に参加しようとする人が現れ始める。平成20(2008)年から名古屋工業大学兼田研究室の協力を得て、地域の有力者を代表とする「白壁・主税・橦木まちづくり提案」発起人会が設立され、景観法の基づく都市景観形成地区の指定を住民提案するアクションを起こそうとする活動が動き始めた。そして今年に入り、住民の半数以上や公的施設管理者からの同意書を得て、名古屋市も地区指定に向けて動き出したという状況である。

6435 「コミュニティのない町だった」という言葉も強烈だが、そうした中で住民の心を動かしここまでに至ったというのは、心底、その活動の粘りと継続性に感心する。とは言っても、14年前に比べ、かなり雰囲気も変わってしまったことも事実。パーキングも増えたし、低層とはいえRC造打ち放しの建物や周囲をクリーム色の壁で囲まれた結婚式場もあり、高さ規制だけでは必ずしも武家屋敷町らしい景観が守られているとは言い難い。町並み保存の難しさを感じずにはいられない。

 豊田佐助邸を出て、次は鐘木館へ向かう。鐘木館の歴史について語り始めるとキリがないのでここでは省略。有志で共同賃貸していた時期を経て、現在は他の施設と同様、市が借り上げ、NPO法人に指定管理を委託している。きれいに改修された室内は、一部喫茶に利用され、和室は貸室として利用されている。また2階展示室のサンルームや浴室もきれいに整備され、瀟洒な雰囲気。玄関ホールのステンドグラスや2棟ある黒壁の蔵もいい感じだ。

6439 外に出るともうだいぶ薄暗くなってきた。二葉館に着いたのはもう閉館間際の4時40分。ステンドグラスや廻り階段と飾りランプなどを楽しむ。この後、URの賃貸住宅アーバニア主税町とともに残された主税町長屋門、モーニングパーク主税町を通り、白壁筋を西に戻って、料亭・か茂免、マンション白壁ハウスに残された旧豊田家の門・塀、料亭・樟、さらに鐘木筋に戻って大森家住宅、伊藤家住宅を見つつ、すっかり暗くなった道を地下鉄駅まで歩いた。

 改めてすばらしい町並みを、その保存に向かう努力の跡ともに振り返ることができた。景観形成地区の指定を受け、さらにその活動が広がっていくことを願って止まない。

●参考

 まちなみ・あれこれ:「白壁・橦木町界隈ウォッチング」

 まちなみ・あれこれ:「NAGOYA 文化のみち」

●マイフォト「「白壁・主税・橦木」の町並み保存活動」もごらんください。