信州 蔵のまち 須坂を巡る +松代

5710 数年前、小布施に行った帰りに、蔵造りの町並みを通り過ぎ、ここはどこかと思ったことがある。須坂と知って、一度じっくり訪れたいと思っていた。今回、志賀高原へ行った帰りに、今度は小布施を素通りして須坂を訪れた。

 前に通ったときは街道筋に並んでいたという印象だったが、実際に訪れてみると町なかに広く広がっていた。下調べをしてこなかったので、どこに行ったらいいのか皆目見当が付かず、町なかをウロウロと走り回る。

 最初に「須坂クラシック美術館」の看板が目に止まり、車を止めて入館する。明治初期に須坂藩御用達の呉服商・牧新七により建てられた屋敷で、その後、産業の盛衰とともに三代の資産家に譲り受けられ、現在に至っている。正面長屋門の右に2階建ての土蔵、門の左手に2階建ての上店、奥に同じく2階建ての主屋と3棟が並んでいる。特に主屋は立派で、奥座敷の凝りに凝った意匠は目を見張る。 5734

 向かいの民家や斜め向かいの「蔵のまち観光交流センター」など、この界隈には立派な民家が軒を連ねている。しばらく歩くと右手に広場が開け、奥に3階建ての豪壮な蔵がそびえている。「須坂市ふれあい館 まゆぐら」で、近くの製糸工場にあった倉庫を移築して開館をした展示施設だ。

 須坂市は須坂藩の陣屋町として発展してきたが、明治以降、製糸の町として大いに栄え、その遺産が現在の蔵の町並として残っている。須坂市では昭和60年代頃から「歴史的町並み景観事業」に取り組み、平成7年度からは街なみ環境整備事業にも着手して、景観の整備・保全に努めている。その成果として、この界隈にもきれいに整備された民家が多く目に付く。その極めつけとも言うべき住宅群がしばらく歩いた先の交差点右手に立ち並んでいる。蔵造り風の新しい住宅群である。

5740 交差点の先にある蔵造り風の建物が傘鉾会館である。内部には2階吹き抜けで毎年7月の祇園祭に町内を巡行する傘鉾屋台が展示されている。この後、いったん車に戻って、中町・新町・常盤町界隈に移動した。

 本町通りと新町通りが交わる中町交差点の周辺は車通りも多く、商店が数多く立地するが、いずれも見事な白壁漆喰塗の商家で、蔵造りのものや3階望楼がそびえるものなど魅力的な建物が多い。本町通りから1本北を走る常盤町内には、大正6年に建てられた洋風建築の「旧上高井郡役所」があり、現在は市民センターとして利用されていた。新町通りを少し遡り、江戸時代から続く老舗「塩屋醸造」にも寄って味噌を買ってきた。

5748 再度、車に乗り込み、本町通りを南に移動する。観音通りと名前が変わった先にも、古い建物が散見される。左手に大きな富士通の工場があり、構内には迎賓館があるそうだが、外部からは全く窺うことができない。残念。

 続いて「豪商の館 田中本家博物館」に到着した。江戸中期から手広く商売を始めて須坂藩の御用達を勤め、その財力は須坂藩をも上回ると言われた豪商・田中家の屋敷である。展示は主に周囲を囲む蔵屋敷で行われ、これらを回って最後に立派な回遊式庭園を眺める。昭和年間まで当主が住んでいたという主屋はたいへん立派でただただ堪能するばかり。最後に抹茶をいただいて屋敷を後にした。

5814 須坂の帰りにもう一つ、かねがね訪問したいと思っていた松代に足を伸ばした。着いたのは夕方の5時前で、展示施設は閉館した後だった。観光案内所でおすすめの飲食店を教えてもらい、そこが開店する6時まで、車で外観だけでもと見て回った。松代と言えば真田藩。真田邸は整備工事中で土塀を見るだけだが、その南の立派な民家。文武学校と旧白井家の表門。旧横田家住宅を門塀越しに。矢沢家表門も相当な迫力。しかしこれらの施設は真田邸のある公園周辺に散立し、町並としての連続的な景観は形成していない。あとは入館料を払って史跡めぐりということなので、私の趣味としてはこれで十分かな、という感じ。夕食を食べた「食いしん坊 かじや」がとにかく美味で、松代一番の収穫だった。

 駆け足で廻った信州の二つの町は、それぞれ特徴もあり、興味深かった。

【参考】マイフォト 「信州 蔵のまち 須坂を巡る」もごらんください。