災害社会

 筆者は東大卒業後、富山大学でスロー地震などを研究し、2002年より京都大学防災研究所で教授を務めている地震学の専門家である。2008年の四川大地震岩手・宮城内陸地震などのホットな地震災害を題材に、海溝型地震、内陸型地震のメカニズムと軟弱堆積層による長周期地震動など最新の地震学の知見を紹介するとともに、災害は自然現象としての危険因子に人間社会の脆弱性が合わさって発生するという観点から、都市開発や社会・経済政策に対して警鐘を鳴らす。

 前半の地震メカニズムの概説は専門的な内容がやさしく説明されており、わかりやすい。しかし筆者が言いたいことは政治・経済政策における不作為であり、危険性を技術的に克服する以前に、危険性が明らかなところに建物を建築したり、都市開発をしないことが必要だろうと訴える。特に、長周期地震動に対する超高層ビルへの対策として6つの具体的な提案がされている。

 第8章以降は、地震学から離れ、格差社会批判や地球温暖化対策、「農」の不安、自由貿易批判などに及んでいく。タネ本は「格差社会」(橋本俊詔・岩波新書)や「金融権力」(本山美彦・岩波新書)、「『農』をどう捉えるか」(原洋之介・書籍工房早山)などで、一面的な感がしないでもない。最後に附章として「学問と社会-京都大学らしさとは?」と題する論考が附けられているが、これを読むと、筆者の退職間際の集大成として執筆された本なのかなという気もする。

 一言で言えば「地震学者による社会への警鐘」と言えばよいだろうか。筆者の社会政策に対する主張が必ずしも正しいわけではないと思うが、少なからず社会政策に関わる人には一読して欲しい書籍ではある。

●危険因子が社会の脆弱性に出会ったときに災害は生じる。地震が発生しても、社会が脆弱でなければ、災害は発生しない。・・・危険因子と脆弱性を合わせたものを「リスク」と呼ぶ。(P21)
●そもそも、「プレート・テクトニクスの枠組によって駿河湾が抱える地震リスクが明確になった」以降に、三号機から五号機が増設され続けてきたことに根本的な疑念を感じる。原子力発電所のようなものは巨大地震の断層の真上のように危険な場所を避けることは、耐震強度以前の問題なのではないだろうか。(P78)
●地震による人的被害を減らすための急所は、その頃(戦後から高度成長期の1980年頃まで)に急速に拡大したに大都市郊外の密集市街地と住宅地である。・・・もし「地震=断層滑り説」の証明の方が先だったら、もし活断層学の発展が先だったら、事情はずいぶん違っていただろう。(P91)
●日本の政治と経済のリーダーたちは、なぜ、地震学的「危険因子」と「増幅要因」を無視した、超高層ビルの乱立というリスクに満ちた政策をとるのだろうか? 子供の世代や孫の世代に地震リスクを先送りしているだけではないだろうか。(P131)
●私が四川大地震から再認識したことは、非常時においては、平常時に行われている以上のことは期待できないということである。平常時の医療が崩壊の危機に瀕しているところで、非常時の災害医療がうまく機能するはずがない。平常時の「食」が危機に瀕しているところで、非常時の「食」の供給がうまくいくはずがない。(P187)