まちづくりのツボ教えます

 5日開催されたまちづくりシンポジウムに参加した。講師は近畿大の久隆浩教授。「まちづくりのツボ教えます」とは何ともベタな演題。若干のいかがわしさを感じつつ、あまり期待せずに参加。最近の疲れもあり、冒頭はうつらうつらしていたが、途中から面白さに目が覚めた。

 久先生は土木出身で、都市計画専攻とはいえ、ここまでどっぷり現場に浸かっているのはめずらしい。その極端なまでの現場主義が土木らしいと言えばらしいが。

 「人任せの人が増えている」とか「これは資本主義と法治主義という近代という時代の特徴」といった冒頭の話は当たり前で、しばらく意識が飛んでいたが、「『合意形成や意思決定を前提としない情報交換の場』をいくつかの地区で100回以上も続けている」という辺りから目が覚めてきた。その会合では、「今日は何の話をしましょうか?」から始まり、「じゃ、近況報告でもお願いします。」で順に話し始め、興味が募る話題や相談事などがあればその話題で盛り上がる。「面白くない」という人には「じゃ、あなたが面白い話をしてください。」と言い、「人が増えない」という人には「じゃ、あなたが誰かを誘ってきてください。」と言い、みんなで盛り上げ、誰もお客さんにしない。

 これはあくまで情報交換や意見交換の「場」であって、活動を行う「組織」ではない。交流の場から活動のための組織が必要だと思う人が集まれば、その有志が組織を作り活動を始める。活動のためには組織も必要だが、しっかりした組織は参加者の固定や活動の硬直化も生む。交流の場はあくまで気軽で出入り自由なゆるやかなつながりの場にとどまり、だからこそいつまでも続く強さを持っている。

 「考えてみてください。夕食の献立を家族会議で決定する家庭はないでしょ。多くの物事はこうして特別な合意形成・意思決定の手続きを経ずとも決まっていくものなのです。」と、地域を家族の仕組みでやっていこうと提案する。なるほど。でも、地域の大きさにもよるだろうが、自由参加で最初から20人も集まる集団というのは少ないのではないか。せいぜい5・6人。そして次第に日程が合わず下火になる、というのが通常の経緯。やはり先生の盛り上げが必須なのでは。そんなことも聞きたかったが、衆目の中では遠慮してしまいました。

 後半はやや硬い制度論。近代が制度による秩序維持の時代であったのに対して、ポストモダンの現代はコミュニケーションで新たな社会秩序を生み出すことが必要になっている。わからないではないが、ようするに昔に帰って新たな秩序を模索する、ということ? 制度に慣れた人間をもう一度こうした場に引き込むことが大変。そのための「交流の場」という主張。

 最後は行政職員向けに実践的提案。説明をするのではなく、相手の意見を聞くことが大事。反対意見が出たら、「じゃ、やめます。」と言ったらどうですか。「それじゃ困る。進めてくれ。」という声も出てくるはず。そうすれば、反対派と推進派の住民同士の話し合いになる。それが「住民同士が主体的に対話をしてもらう機会づくり」

 「事業が頓挫してもクビにはならないから」と言われても、なかなかそうした対応はできないもの。それというのも事業の方針があって初めて組織ができ、担当者が配置されるから。何をするか決まらないところに住民の意見を聞くための担当者を置く。行政組織を、そうした住民対応・地区対応のあり方に変えていくところから始める必要がある。

 先生の言われることはよくわかる。しかしそのためには、自治体だけではなく、市民も企業も国も、すべてがポストモダンの時代に合わせた行動を起こしていく必要がある。できるところから、できることをやる。「それで世の中は変わっていきますよ」と言えるメンタリティを万人が持つのは難しいが、時代がそうした風潮に動き出しているという気はする。

 何が効くのかは本当のところはわからないが、「そのツボ、気持ちいい」のは確か。信じるものは救われるカモ・ネ。