高岡の町並み 山町筋・金屋町

 GW中の2日・3日と家族旅行で富山県の各地を廻ってきた。最初に訪れた「となみチューリップフェア」と3日に行った立山室堂の旅は別のブログに譲るとして、その間に家族にワガママを言って、高岡市山町筋と金屋町の町並み、さらに富山市岩瀬と五箇山にも寄ってきたので、その報告をしたい。

4938 高岡市は今年開町400年で、さまざまなイベントを実施している。その一つが土日祝日に実施している古城公園の水路をめぐる遊覧船の運航。家族サービスということもあり、まずはこのお濠めぐりの遊覧船に乗り込んだ。高岡城は加賀二代藩主前田利長の代に、高山右近の縄張りにより1609年に築城されたとされる。しかしわずか6年後の1615年、一国一城の令により廃城を余儀なくされ、武士団が引き上げた後の高岡を、三代藩主利常が町人の転出を禁じ、商工業の町へと転換させる政策を進めた結果、越中の米や綿の集散地として繁栄を続けたという。

 わずか6年間しか栄えなかったお城跡だが、鬱蒼とした林とお濠が今も残り、町の肺機能として、また市民の憩いの場として、いい雰囲気を醸している。この豊かな水がどこから湧き出ているのかは今も謎で、「封鎖された水面の汚れ対策が必要なんです」と観光ボランティアの女性がおっしゃっていたが、そうした努力も含めて、市民の精神的な求心装置として重要な役割を果たしていると言えそうだ。

 山町筋は古城公園からほど近く、国道156号線に平行して走る旧北陸道沿いの町並みだ。無料の観光駐車場が整備され、重要伝統的建造物群保存地区に指定される町並みには、土蔵造りのまち資料館と重要文化財菅野家住宅が有料公開されている。 4956

 開町以来続く古い商業町だが、明治33年(1900年)に大火があり、その後防火に配慮した土蔵造りの町並みとして整備された。このためいずれも築100年前後の建物ではあるが、当時の繁栄を反映して、北山杉の長押や屋久杉の天井板など、贅を尽くした造りとなっている。

 旧室崎家である高岡市土蔵造りのまち資料館は、(株)蔵のまちスクエアが指定管理者として管理しており、観光ボランティアが丁寧な案内をしてくれる。通り土間やミセ・ナカノマ・ザシキの三間構成など商家らしい間取りで、黒壁塗込みの重厚な外観と紅殻の朱壁や細い桟割の障子などの繊細な内部意匠が対照的で面白い。また2階には前日開催された御車山祭り関係の展示がされている。1日違いで見られなかったのは何とも惜しいが、通りの各商家には昨日の祭りの飾り付けの名残が残っていた。

 (株)蔵のまちスクエアは、高岡ガスの菅野社長が全額出資して設立したまちづくり会社で、山町筋の活性化をめざしているという。2006年に設立されているのでもう3年が経過するが、ホームページが見当たらないので活動内容は今ひとつわからない。400年記念グッズの販売や喫茶店「山町茶屋」の出店等を行っているようなので、民間ベースでの観光活性化活動を行っているということなのだろう

 

4944 その菅野社長の本家を公開しているのが重要文化財菅野家住宅である。鯱の乗った大きな箱棟や黒く塗り込められた2階壁に観音開きの分厚い窓扉、1階の細格子と両脇に立つ石柱、庇天井の鏝絵と庇を支えるアカンサス模様の入った鋳物支柱など、通りに面して圧倒的な存在感を示す立派な外観。内部も中国の伝承をテーマにした欄間彫刻、古風な鋳物製シャンデリア、屋久杉の天井板、朱壁の床の間など贅沢な造りになっている。さらに目を驚かすのが金の延べ板に浮き彫りをした仏壇。格天井など細かいところまで工作され、思わずみんなで覗き込む。ちなみにこの施設は管理事務を行う女性が案内をしてくれるが、明るく冗舌で忙しいと言いながら懇切丁寧に説明をしてくれる。今回、富山の各地を廻って何が一番うれしかったと言って、人の親切さ・純朴さがうれしかった。どこも本当に詳しく楽しく解説をしていただいた。 5004

 次に向かったのが、金屋町。山筋から千保川を渡った北側に残るこの通りは、高岡開町以来、鋳物職人の町として発展してきた。当初は鍋釜や鋤鍬などの日用品の鉄鋳物の生産が主だったが、その後、釣鐘や仏具などの銅鋳物の産地として国内外に輸出・出荷をして今に至る。通りには「釜師○○」という看板が掲げられた家もいくつか見られ、今も元気に生産を続けている様子が垣間見られる。

 金屋緑地公園脇の無料駐車場(高岡市内はどこも無料駐車場が多いのがうれしい)に車を止め、まず高岡市鋳物資料館に入る。ここは旧若野家を改修して公開しているとのことだが、メインの展示室は奥にあって真新しい。ビデオで鋳物造りの現場を観賞し、古文書や鋳造・造形工具などを見せてもらう。通りに出ると、向かいに鋳物商。隣に鉄瓶を始め鋳物小物を売る鉄瓶屋。通りのところどころに鋳物製の若々しい像が展示されている。

4986 「千本格子の町並み」と称されているが、こちらは築150年から200年の江戸期の建物が多いようだ。表に町家が並び、細長い敷地の奥に吹場という共同作業場があり、それを土蔵で囲んで出火には細心の注意を払ってきたという。また、通りを歩くと、外壁を銅板で蔽った建物がいくつか見られ、鋳物の町という雰囲気を醸している。木造商家の屋根の上には明かり取りの吹き抜け天窓の壁が立ち上がっているのが見える。これは山筋にもあるようだが、造りが小さいためか、通りからよく見えうれしい。

 ひとしきり歩いた後、大野幸八郎商店と看板の立つ雑貨兼喫茶店に入った。畳にラグを敷き詰めた奥座敷で抹茶オーレを楽しむゆったりとしたひととき。月見障子に朱壁の床の間、築200年の民家は職人の家でもゆとりと繊細さが感じられる。

 町並みの東側にはキューポラと溶鉱炉があるというが、通りすがりに煉瓦煙突を見ただけでしっかりと見学する時間がなかった。翌日は富山市内に宿を取り、岩瀬の町並みを見て回ったが、長くなったので別のエントリーで報告する。

【参考】 ●マイフォト「高岡の町並み 山町筋・金屋町」もごらんください。