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原っぱと遊園地2

 建築論集として話題となった「原っぱと遊園地」の続編である。地元の図書館になかなか納入されないのでリクエストした。前書では、行動や創造が発生する場としての「原っぱ」と「動線体」という発想が話題を呼んだ。そのベースになっているのは、ルイ・ヴィトンの一連の仕事だったが、本書はその後の作品、特に青森県立美術館を始めとする建築作品の設計手法を中心に語られる。

 全体は3部構成である。第1部は、青森県立美術館をめぐって、「図式とルール」など青木氏が採っている設計手法や考え方が綴られている。『「せんだいメディアパーク」は図式を持っている。』(P50)という記述がある。図式を当てはめ展開することで、「公園的な人の居方」を定着させたと読み解き、それとの比較で自らの建築は、直感的なルールの設定から始まり、現実との調整を経て具体化していくと説明する。図式とルールの違いは、図式は直接、建築物のカタチに現れるのに対して、ソフトなルールは臨機応変にカタチを変えていく、という点にある。これは「原っぱ」にも通じる考え方で、カタチは活動を規定しない。

 第2部は、「新建築」に発表された建築作品に対する論文集である。正直、かなり難解で、かつ図面や写真が乏しいことから、言わんとすることが十分理解できないところも多い。

 第3部は、他の建築家や芸術家とその作品に対する批評集である。批評をすることで、逆に青木氏の立ち位置が明らかにされる。その点では興味深いが、当該芸術家や作品を知らないものが多く、本当の意味では理解しがたい。

 全体として、前作にくらべ、わかりやすさの点で若干落ちる。もちろん、青木氏のスタンスはよくわかるし共感する部分もある。ただ「原っぱと遊園地」がメインのテーマではなかったナと思う。「図式とルール」がこの本の趣旨をもっとも伝えるタイトルではなかったか。あえて二匹目のドジョウを狙って「原っぱと遊園地2」というタイトルにしたのだろうが、もう少し素直でもよかった。ま、そうだったら、読まなかったかもしれないけどネ。

●自分でできることから始める。そうして、それがこの世の中で成り立つためには、どういうルールが最低限必要なのか。それを身をもって発見し、自分の内側から「職能」を築いていく。どこかに属するのではなく、自分で自分をつくっていく。(P15)
●図式そのものが重要なのではない。ぼくはそれに対して、ルールやそのシーンを、それ自体に「ある特定の世界」を含んだものにするまで、研ぎすまそうと思う。そこから建築にストレートに直結させようと思う。(P60)
●「装飾」は、それが包み隠している実体と等価である。装飾という表面それ自体が実体であって、それらを取り去ったものが実体ではないのである。それらは内部へと誘惑するけれど、その内部には何もない。もしそれが隠しているものがあるとすれば、むしろ「実体の無さ」なのである。(P107)
●僕たちが現実に住む都市は、不断に思いがけない展開をもち、動的な実体であるとすれば、それは「それぞれ独立した雑多な要因が重複して運動している」からである。現実の都市は、未来において達成されるべきある姿へとリニアに向かっていく運動ではなく、またあらかじめ変容が許容されている均質空間の中の運動でもない。もっと予測不能で危険な有機体なのである。(P174)
●ぼくたちの内面は、どれもが偶然の、その連鎖にすぎない。あとから振り返ってみれば、二度と起きえない偶然が奇跡のように積み重なっている。でも普段の生活では、ぼくたちはそれを必然と捉えている。そして、その必然が実は必然でないことをどこかで知っているからこそ、ぼくたちは漠然とした不安と重圧に縛られている。(P208)