建築家は住宅で何を考えているのか

 塔の家や住吉の長屋、ニラハウスなど現代に至る住宅の名作41点を、01家族像とプランニング、02ライフスタイル、03集住/かたち、04街/風景、05工業化と商品化、06リノベーションの可能性、07エコロジカルな住宅、08素材/構法、09ちいさな家、10住みつづける家、の10のカテゴリーに分けて、写真、図面と小文で紹介する。知らなかった住宅も多く、なかなか興味深い。  中でも目を引いたのは、「10個の箱に解体された住宅 森山邸/西沢立衛」と「工業生産化とオープン部品化 Be/412g22/秋山東一」かな。前者は、3戸ほどの住宅が、10個の箱に解体され、廊下もなく向かい合いグルーピングされただけで、かつある程度のプライバシーも保ちつつ、開きかつ閉じているというもの。その大胆にして洗練されたデザインとプランニングは、住宅の本質や空間の意味と言う点でも革命的だ。  また後者は、OMソーラーが一時取り組んでいたフォルクスハウスをオープン化し発展させたもので、その思想の一貫性と継続性に、まだ続けられていたのかと感動を覚えた。もちろん十分センスのあるデザインとなっている。  各章と作品に添えられた小文の中で、共感と興味を引いたのは、「01家族像とプランニング」と「10住みつづける家」。家族像は前書『「51C」家族を容れるハコの戦後と現在』の影響。住みつづける家は、今読んでいる本につながるテーマでもある。デザインや生産システムも興味深いが、やはり住宅の本質や継続性を考えると、私の場合、この二つのテーマに最も関心がある。
●「東雲キャナルコート」は、集合住宅を構成する単位を、世帯というよりは、そのさらに小さな単位である個人にまで還元しようとしたプランである。家族でさえ個人の集合体であるとする主張は、きわめて現代的な都市生活者の姿と二重映しになって見えてくる。(P71)
●人口が密集した都心に住むことは、都市の活動と何らかの回路で結びつくことを目的としている。したがって本来ならば、社会に開かれた住宅が求められるはずである。都心の便利さだけを利用して、都市空間に対しては閉鎖的でいいと考える人には、都心に住む資格はないように思える。(P18)
●アルミの梁や柱は、大人一人でもてるくらい軽いため、素人でも取り扱い可能である。また、加工精度が高く図面通りの寸法ででき上がるため、現場での調整が少なくて済む。ホームセンターなどで注文したアルミの柱、梁、床などの部品をもち帰り、週末に住まいをリフォームする。そんな近未来の風景も楽しそうだ。(P217)
●現代の社会においてもっとも貴重な資源は「時間」かもしれない。いつまでも終わらない、ということはもっとも豊かな時間の使い方だ。(P271)
●そこで長い時間を過ごしてきた当事者=住まい手は、ひとつのものにたくさんの時間をだぶらせて見ることができる。新しく削られたフローリングを見るときにも、以前の黒ずんだ表情を思い出すことができる。既存のものに手を加えることは、記憶を損なうことではなく、記憶の厚みを増すことなのだ。(P279)
●街の中に自分の場所を見つけ出す「喜び」。そういった個人の記憶の積み重ねは街に豊かさをもたらすだろう。建物の集合としての街ではなく、小さいけれども開かれたパブリックスペースのネットワークとして街を考え、デザインしていくという可能性がある。(P295)