「51C」家族を容れるハコの戦後と現在

 「おひとりさまの老後」がベストセラーとなった上野千鶴子氏は有名なフェミニストにして社会学者だが、彼女を初めて目にしたのは、2001年に開催された建築学会主催のシンポジウム「公共住宅の行方を探る:岐阜北方集合住宅の試み」でのことだった。その時の知性のほとばしる発言には強烈なイメージが残っている。当時すでに山本理顕の設計した熊本県営保田窪住宅の住まい方調査を行い、建築家の空間で生活を規定しようとする習性を痛烈に批判していたが、本書は、その上野氏に、51Cの生みの親である鈴木成文氏と東雲キャナルコートを完成させた後の山本理顕氏を加えた3氏をパネラーに、布野修司五十嵐太郎をそれぞれ司会に迎えて開催されたシンポジウム『「51C」は呪縛か。-集合住宅の戦後~現代をさぐる』を誌面化したものである。  上野氏の直截な指摘に、高齢なはずの鈴木氏が柔軟かつ頑固に持論を説明し、山本氏がうまく受け止めつつ、より大きなテーマに展開していく様子はなかなか見物だ。当日はさらに面白かっただろうと想像する。  上野氏の近代的家族像は既に終焉しているのに、住宅はそれに追い付いていないばかりか古いモデルに閉じこめようとしているという指摘は、かつては刺激的な言説と感じたが、最近は上野氏もケアと女性の生き方に関心が移ったらしいように、今となっては論点を浮かび上がらせるための、タメにする発言であったと感じる。  賃貸、分譲マンション、戸建てと住まいを替えるたびに思うのは、人はどんな住まいであっても住みこなしていく存在であるということ。その中で、理想的な住まいをつくろうとする建築家の試みは当然至極の作業であるし、それが建築帝国主義だという指摘も正しいのだろう。そして、我々の考え方や生活が意外にも外部環境に規定されるというのも事実。51Cの計画手法や理念を借用したnLDKが想像以上に日本人の生き方に影響を与えたというのは理解できるとして、そこに設計者の功罪を求めるのは無理があるのではないか。環境と遺伝子の関係を誰も正確に規定できないように、環境に依存する人間にとって最適な環境なんて誰も答えることはできない。  しかし、シンポジウムを経て、51Cの影響の本質を見抜く山本氏の眼力の鋭さには脱帽。このシンポジウムが生活と住宅の形を考える契機になったという点で意義があったとは思うが、上野氏を交えてはそれ以上にはならないとも思った。
●近代家族は今や終焉を迎えたのだそうである。それが現実の状況、人々の本音だといっても、本音に従ってさえいればいいわけではなかろう。・・・あるべき姿、目標像を立て、それに向かって住み手を引っ張り、誘導していかなくてはならない。それが51Cをつくった理念であり、建築計画というものである。(P37)
●一つの住宅に一つの家族が入るというその単位のつくられ方がもはや破綻していると思います。・・・ただ、その変わってしまった環境に応じることができるような、新たな生活単位のようなものを、もし想定することができるなら、その一つの単位はどうつくられるべきなのかという課題は、今や非常に重要だと思っています。・・・それをどう規定するかによって、街のつくられ方も変わるだろうし、地域全体がどうなるかも変わってしまうと思います。(P139)
●影響の本質的な部分は二つである。・・・①鉄の扉・・・「鉄の扉」はそのプライバシーの象徴だったのである。そのように私たちは受け止めたのである。鉄の扉で相互に隔離されるような生活の仕方を今では私たちは誰も疑わない。・・・②そしてもう一つ。この閉じた形式の住宅に家族という単位が過不足なく収まるということ。・・・真に革命的だったのは、住宅を内側のプランの問題として扱えるという発見だった。つまり、閉じた単位の内側の問題が住宅の問題であるという、そういう構図をつくったことである。(P157)