建築史的モンダイ

 PR誌「たいせい」やWEBちくまに連載された建築的エッセイ26編を加筆収録し、書き下ろし2編を加えたもの。相変わらず軽妙な藤森節が炸裂。面白いことこの上ない。加えて、素人向けに、建築的見地からさまざまなことをわかりやすく説明しており、私の知らなかったことも満載。「ブルーノ・タウトはガラスを意欲的に使った世界最初の建築家だった」とか「アントニン・レーモンドが世界でもいち早く、打放しコンクリートに取り組んだ」とか。へぇ、そうだったんだぁ。
 世界のアンドーは、打放しコンクリートを壁構造で使ったから世界的評価を経た、という見方も藤森先生ならではの眼識だろう。ただただ信じてもいけないようにも思うけどもね。それにしても面白い。

  • 人類は、自然界の状態を読み解く能力の一つとして、美を感じる資格を入手した、とするなら、そうした対自然能力を、いつ建築という人工物にふり向けるようになったんだろう。(P012)
  • 時代に応じて新しいスタイルはもちろん成立する。・・・それまでのものが変化して新しいものが成立するところまではヨーロッパ建築と同じだが、その先で異なる。ヨーロッパ建築ならさらにまた変わるのに、日本では・・・次に新しく生まれたスタイルと併行して古いものも生き続ける。・・・スタイルが、ヨーロッパのように時代に従属しない。では何に従うかというと、用途に従う。(P044)
  • 火事というものへの基本的な心情が今の人とはちがったし、火事を巡る経済もちがった。火事があるかぎり資本は蓄積されないはずだから、”火事と資本主義”というテーマがあるんじゃないかと私はひそかに考えている。(P089)
  • 現代の建築界を内側から見ていると、”ハイ・テク”なんて言い方が流通していて、いかにも先端技術と取り組んでいるみたいだが、ハイ・テクったって鉄とガラスにせいぜいアルミを加えるくらいで、電子技術やバイオ技術から見ると百年遅れと言わざるをえない。(P180)
  • 二〇世紀の建築家は、ガラスを前に、一つの問を問われた。ガラスとは、そこに何もないと考えるのか、それとも、水晶のような透明な薄い石があると考えるのか。・・・タウトとミースの答は、ガラスは石の一つ。グロピウスの答は、ガラスは何もないと同じと思った。(P182)
  • WTCは史上初めて衆人にみとられながら死んだ超高層なのである。(P214)