空間<機能から様相へ>

 ヤマトインターナショナル東京本社で鮮烈なデビューを遂げ、梅田スカイビルで驚愕を集め、JR京都駅のコンペで社会的な批評の嵐を巻き起こした建築家・原広司の建築評論集。それらの建築作品の前には、「集落の教え100」などの世界の集落調査からの建築評論が話題となった。1975年に公表された「均質空間論」に始まり、「<部分と全体の論理>についてのプリコラージュ」(1980年)、境界論(1981年)、「機能から様相へ」(1986年)、「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」(1986年)の5つの建築・空間論が収録されている。1987年に刊行された同名の著書から一部論文を省き20年ぶりに文庫本として再刊されたもの。

 現象学構造主義等の哲学的考察を駆使し、建築実学の経験を踏まえ、著者独自の空間論を展開している。最初の「均質空間論」は近代建築がその理想故に機能を失い、均質空間に陥っていく過程を見事に描き、よく理解できる。その建築的窮状を、世界の集落調査から類推・抽出された空間形成の原理を部分から全体に広げていくことで救い出そうとする意図も理解できる。そしてたどり着いた「様相」とは何か?

 「境界論」あたりから難解な表現が多くなってきて、ほとんど理解したとは言い難いが、人間の意識や感情をベースにして空間を作っていくことの正当性を述べていると理解していいのだろうか?

 近代建築の「機械」に対応する位置に「エレクトロニクス装置」を配置しているが、その時点ではゲーム的仮想現実やGoogle的世界観は達成していなかったはずであり、今の時点で様相や意識が形づくる建築はどうあるのだろうか。「エレクトロニクス装置」ではないような気がするのだが・・・。

 

●所詮、設計は、言葉と空間の鬼ごっこなのだ。(P3)
●わかりやすく言えば、近代建築が行ったことの総体は、ミースが座標を描き、コルビュジエがその座標のなかにさまざまなグラフを描いたという図式によって説明される。建築のモデルらしく言いなおせば、近代建築とは、「ガラスの箱のなかのロンシャン」となる。(P21)
ヒューマニズムから民主主義にわたる人間像にあっては、人間はみな同じであるとする平等の原理がアプリオリに設定され、この原理を具体化してゆく過程は自由の概念にまかされる。・・・平等の原理にたいしては、あらゆる人が立つ空間を均等にすることをもって応答し、自由の概念にたいしては、機能を捨てることによっていかなる関係も初源的に規定せず豊かな空間の変化の可能性だけを対応させた。そして両者は不可分一体に表現された。(P62)
●私たちは基本として、領域を明快に定義あるいは、規定しようとする場合はエンクロージャーを、領域を不明確に規定し領域館の相互浸透をはかる場合はフロアを、これら二者の同時存在をはかる場合にはルーフを、それぞれ表現手法として諸部分の関連性に対して適用して全体のあり方を仮構する。(P209)
●抽出された事項の多くは、事物の状態や空間の状態の見えがかり、外見、あらわれ、表情、記号、雰囲気、たたずまいなどと表記される現象であり、・・・これらの表記が指し示している空間の現象を、様相(modality)と呼んでみたい。(P241)
●近代建築:機能-身体-機械 / 現代建築:様相-意識-エレクトロニクス装置(P260)