ニュータウン人・縁卓会議in高蔵寺

 今年は春日井市政65周年にして高蔵寺ニュータウン入居開始40年目に当たる。こうした節目の時期に、多摩ニュータウン千里ニュータウン筑波研究学園都市高蔵寺ニュータウンの居住者が一堂に集まり意見交換を行うイベント「ニュータウン人・縁卓会議」が、5月17日(土)、高蔵寺ニュータウン内の東部市民センターで開催された。  「ニュータウン人・縁卓会議」は多摩ニュータウンの居住者等が発起人となり、2006年度から始められたもので、第1回多摩ニュータウン、第2回千里ニュータウンで開催し、3回目の今年、高蔵寺ニュータウンで開催することになったもの。  当日は、春日井市長等の挨拶の後、発起人の一人であり、かつて高蔵寺ニュータウンの開発に関わり、自らも入居が開始された昭和43年(1968年)から19年間、高蔵寺に住み続け、その後、多摩ニュータウン筑波研究学園都市の開発に関わってきた御舩哲さん(現・多摩NPOセンター長)の基調講演「ニュータウンは今!!」があり、休憩後、御舩さんのコーディネートの下、各ニュータウンから来られた4人のニュータウン人が、それぞれの現況やこれまでの経験からニュータウンの将来に向けた提言や知見が報告され、意見交換が行われた。  御舩さんは、高蔵寺ニュータウンに暮らしていると、UR機構関係者やコミュニティ関係の場でも、津端修一さんと並んでよくお名前を拝聴する有名人である。御舩さんの基調講演は、1960年から70年にかけて、分業型・集中提供型で開発されてきたニュータウンの歴史を振り返り、かつ各ニュータウンの違いを考慮しつつ、今後のニュータウンの可能性を展望する内容のものとなった。すなわち、ニュータウンは今、多様な人々の暮らしと働きが地域内で循環する低炭素型の暮らしを創造する「まちそだての場」になってきた。具体的には、様々なコミュニティ活動や(多摩や千里など)市をまたいでもニュータウンに住み続けたいというニュータウン人の存在、豊かな自然と人との関わりの中で育まれてきた環境貢献の可能性など、各ニュータウンの取組を取り上げつつ、地域の住民自治をベースにした地域協働の活動を評価し、期待するといった内容だ。最後に、20世紀最初の年の1901年に夏目漱石がロンドンで日記に綴ったという「真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実(しじつ)に行え。」という言葉を挙げられた。20世紀の産物であるニュータウンを、今この言葉を噛みしめつつ、いかに生かしていくか。今年71歳になる御舩さんから私たちに課せられた課題と言える。  第2部の縁卓会議は、各ニュータウンからの参加者の属性が多様で、一部かみ合わない部分もあったが、それゆえに面白い内容になったと言える。千里ニュータウンから参加した千里まちづくりネット副会長の藤本輝夫さんは、広島から集団就職で大阪に出てきて、千里ニュータウンのまち開きと同時に入居。コミュニティが希薄な初期のニュータウンにあって、盆踊り大会を開催するなどの活動に関わってきた方であり、地縁的なコミュニティづくりについてもっぱら発言をされた。  続いて発言された多摩ニュータウンの富永一夫さんは、フュージョン長池の活動から全国的に有名な方だが、「協働で実践する暮らしの支援事業」というタイトルのパワーポイントを用意され、地活隊(ちいきたい)の地域活性化支援事業、自然隊(しぜんたい)の長池公園支援事業、夢伝隊(ゆめつたえたい)の地域広報活動支援事業、高支隊(こうしたい)の高度情報化支援事業、住見隊(すみたい)の住宅管理支援事業、夢見隊(ゆめみたい)の夢の住まいづくり支援事業(コーポラティブ住宅)、食生隊(しょくいきたい)の毎日の食べること支援事業(コミュニティ・レストラン)、調部隊(しらべたい)のNPOフュージョン研究所などの多様な活動を紹介し、地域経営の4+2資源(人・物・金・情報と協働・事務局)の重要さ、特に「事務局が要」という持論を紹介された。  3番目の筑波研究学園都市から来られたNPO法人つくばハウジング研究会の冨江伸治さんからは、筑波研究学園都市の特徴を豊富なスライドを用意され、報告をされた。他のニュータウンとは異なる新しく現代的なデザインの紹介、そして中心部に残っていた未利用地が民間に売却され、周囲の景観や緑の連続などの地域計画を無視した高層マンションになっていることの危惧を強く訴えられた。  最後に高蔵寺ニュータウンからは、春日井市ニュータウン地区コミュニティ推進協議会の吉田光雄さんから、局地的に極度に高齢化が進んだ地区があることや児童数の減少などの現況報告がされた。  その後の意見交換は、多摩ニュータウンの富永さんを中心に展開し、「自治組織に加え、専門的組織が立体的に構築される必要がある。」とか、多摩ニュータウン諏訪地区の空き店舗を活用した高齢者寄り合い所「ふくしてい」を事例に、「高齢者がまちに出れば、高齢者がまちを見守る安心なまちづくりが可能となり、その安心さ、賑やかさが若者を呼び込む」といった多様さの仕掛けやそのためのコーディネーターの必要性など、様々な事柄が話題となった。冨江さんから、地縁型コミュニティに対して専門型アソシエーション組織については企業化(コミュニティ・ビジネスということか)の動きが報告され、吉田さんからは「ちょいボラ(ンティア)」の紹介があった。  一般公開のこうしたシンポジウムで、パネラーがそれぞれの地域の取組紹介を主としている場合、それ以上のかみ合った議論展開や深化は難しいのが実情。そういう意味では、富永さんが縁卓会議を始める動機として挙げた「それぞれの違いを学ぶ場」という趣旨は適っていたのではないか。今回、吉田さんや市の働きかけもあり、500人のホール満杯の出席があり、その多くはコミュニティ協議会等に関係する地域住民だった。多分、吉田さんや行政の意向を受けて、地域の活動を担っているこうした人々にとっては、NPO主体の多摩ニュータウンの状況や千里ニュータウンの住民発意のコミュニティ活動の事例などは、大いに触発され勉強になったのではないか。  逆に、富永さんからの「地縁型からNPO主体へ」という投げ掛けに十分に応えることのできなかった吉田さんの対応に歯痒い思いをした専門家も多かったのではないか。しかしそれも無理もない。多摩ニュータウンにも当然地縁型組織のリーダーもいようし、高蔵寺にもアソシエーション型組織は数多くある。  次回、筑波研究学園都市で開催されるという。これまで3回、高蔵寺ニュータウンの代表者は吉田さんが務めてきたが、今後は吉田さん以外の組織も含めて、代わる代わる代表を務めるような体制を取るべきではないか。そのほうが、ニュータウンのそれぞれの違いをより多くの人が学ぶことができ、縁卓会議の趣旨により適うと思われる。いずれにせよ、ニュータウンが従来にもまして注目を集めてきた昨今、こうしたイベントが継続的に開催されるのはいいことだと思う。次回(4年後?)高蔵寺ニュータウンで開催されるときはどういう議論が展開されるのか、今から楽しみだ。