ほっとかない郊外

 泉北ニュータウンで興味深い活動が行われているという話はこれまで何度も聞いてきた。この4月には都市住宅学会中部支部により、NPO法人すまいるセンターの西上代表理事による講演会が開催されたが、都合により出席できなかった。本書は昨年10月に発行された本だが、ようやくその内容を確認できた。だが残念ながら、高齢者福祉的な活動が多く、都市計画や建築などの専門的な内容ではない。戸建て住宅をリノベーションしたシェアハウスはまだ入居者がいないという。大阪市立大などの先生方も多く関わっている。ぜひどこかでそうした専門的な話を聞いてみたい。
 槇塚台レストランや高齢者支援住宅、健康づくり活動、レストランのコミュニティ・スペースなどを利用したさまざまな活動と居場所づくり、シェアハウス・リノベーションやリノベ暮らし学校などの活動、そしてコミュニティ・ビジネス。本書はこうした活動の数々を、多くの登場人物が語る対談形式にして紹介をしている。とても親しく読みやすい。
 ただ、その多くは国等の補助金を活用しており、他で簡単にマネできるわけではなく、また継続性についても疑問を感じる。また、泉北ニュータウン全体ではなく、槇塚台という人口6000人程度の限られた地域での活動だという点が意外だった。泉北ニュータウンの他地区ではどうなっているのか。
 確かに面白く、かつ興味深い活動が展開されている。だがそれは限られた地区だけの、特別な活動、特殊解ではないのか。これをそのまま他地区や他のニュータウン・郊外住宅地に適用することは難しいのではないか。ならば、これらの活動のうちの何を評価し、誰がどう取り組めばいいのか。その点がよくわからない。
 実は、都市住宅学会中部支部では、12月にまた西上さんに来ていただき、ワークショップを開催する計画をしている。今度は絶対に参加する予定。その時に少しでも話が聞けたらいいなあ。その時までに何を聞いたらいいか、考えておこう。

ほっとかない郊外 ~ニュータウンを次世代につなぐ~

ほっとかない郊外 ~ニュータウンを次世代につなぐ~

○家庭で使われなくなった椅子を、地域で活動する木工サークル「創の会」の手で再生し、家庭からレストランに移動させることにしました。同じように、家庭で使われぬまま眠っていた食器類も提供してもらい、レストランの食事で利用することにしました。かつては家族の団らんのために使われていた道具が、今度はここで地域の団らんのために使われます。・・・地域の人たちに大切に使ってもらえるよう・・・こうやっていわば「なじみ」をデザインしてみました。(P60)
○空き家を地域の空きスペースと捉えることはできないだろうか?・・・地域の空き店舗や空き住戸を使ってみることにしたら、まちを歩くごとに新しい場所ができて、住宅地に活気が生まれる。それらをつないで空間をシェアしながら使うとしたら?空き店舗や空き住戸を運営する人がいて、使う人がいて、それぞれの楽しみが見つけられる。空き家を拠点とすれば、住まいを開くことに加えて、空き家を開いた楽しい居場所をつくることができるかもしれない。(P172)
大阪府不動産コンサルティング協会は・・・泉北ニュータウン住宅リノベーション協議会の連携パートナーとして活動しています。住まいを活用する際に、何のために、どのように、また、どうやるかというような、住宅を所有する方、取得・利用する方などの考えや状況に応じた対策・手法を企画したり、そのための環境を整備したりする「まちづくりのシステムづくり」が私たちの役割です。(P194)

日本の醜さについて

 井上章一を私は建築史家と思っている。「京都ぎらい」でブレイクして以降、本人は自分のことをどう考えているのだろう。本書は「小説幻冬」という文藝詩で連載した「結局、日本人とは何なのか?」を改題し加筆修正したものと書かれている。「あとがき」では「ちょっとした作家気分も・・・いだくことができ」たと書いている。文筆家、社会評論家といった風情か。でも内容は明らかに建築史家。建築を学び育った人間が社会学者や文学者に対して、「みなさん偉そうに『日本人は集団主義だ。空気を読む』なんて言うけれど、都市景観はまったく集団主義的ではありませんよ。逆に、西欧と比べても極端に個人主義的です。書斎の中、建物の中に閉じこもってばかりおらず、外の、現実の姿を見たらいかがですか」と異議を申し立てる。
 建築史家にとって当たり前のことが、社会科学分野では全く顧みられない状況に憤り、呆れ、でもどうしてそうなるかまでは解明できず、それで苛立つとまではいけずに、その違いを面白がっている。だから、本書に書かれていることは都市や建築を学んだ者なら当たり前のことばかり。いや、文藝愛好者を前に、ちょっと書き過ぎのステレオタイプにさえなっている。
 でも結局、なぜ日本人は、こと建築や都市景観においてこれほどまでに個人主義的で自由になりすぎてしまったのか。それは社会における集団主義的な性向でもって説明できるのか。もしくは人間は本来、個人主義的で、都市景観を集団的にしばる欧米のあり方のほうが特殊なのか。そうなった理由はあるのか。ホッブズやスピノなどの哲学を駆使すれば説明できるような気もする。そういえば松原隆一郎「失われた景観」はこのことをどう考察していたっけ。でも面倒なので、読み返すまではしないけど。

○建築に関しては、ヨーロッパのほうが、はるかに集団主義的である。個人主義的なのは日本だと、そう言わざるをえない。・・・都市と建築を比較するかぎり、自我の肥大化を肯定したのは日本である。欧米、とりわけヨーロッパでは、それをおしとどめようとする力が、強くはたらいた。「和をもって貴し」とするような景観をこしらえたのは、あちらのほうである。日本の都市建築は、まわりの空気を読もうともしない。全体の「和」などは、歯牙にもかけてこなかった。(P22)
○アン女王時代の・・・整然とした様子が、貴族を地主とする土地でできたことも、たしかである。雑然とした日本の家並には、封建遺制などぬぐいさった小市民の自由が、いきづいている。・・・しかし、社会科学は、また歴史学もそこを見ようとしなかった。近代的エートスは、西洋ではめばえ、日本ではうまくそだたなかった、と。精神やエートスは、肉眼だと見えないのに、建物の様子は、ざっとながめるだけで、たしかめられるのもかかわらず。(P69)
○建築意匠では、自我の発露をたがいにきそいあう。・・・日本的な都市景観を象徴するそんな道頓堀で、歩行者は手摺にまもられていた。意匠はときはなたれているが、安全対策では自由をしばられている。/この風景を見ていて、つくづく思う。われわれの身体は、子どもあつかいでもされているかのように、国家から保護されている。その安全地帯で、われわれは幼児的な自我のあふれる様子を目にしてきた。(P120)
○京都は戦禍をあまりこうむらなかった。・・・旧来の街並は温存されたのに、それを自分たちの手でくずしたのである。・・・明治以降の石造建築なども、つかいつづけるつもりがあれば、維持は可能であったろう。/鉄筋コンクリートのビルを、高度成長期にぞくぞくたてていく。・・・そこに、経済的な旨味があったからである。・・・木の文化だから、日本では建築のたてかえにはずみがつきやすくなる。この説明では、現代の都市景観をもたらした推進力が、読みとけない。(P134)
安吾の論法は・・・単純である。言葉をつかう言語芸術はえらい。建築をはじめとする非言語表現は、くらべて見おとりがする。・・・一種の文学至上主義が、となえられているにすぎない。・・・建築びいきの私には、まったく逆の構図も脳裏をよぎる。宗教が信仰という本質をうしなっても、建築は生きのこりうる。・・・古代ギリシアの信仰はとだえても、パルテノン神殿がかがやきつづけたように。(P204)

藤森照信の建築探偵放浪記☆

○50年近く建築探偵業を続けていると、自分の関心の傾向が分かってくる。まず、その建築が作られた社会的、文化的、宗教的、歴史的背景への強い関心がある。作った人への興味も深い。/一方、そこに使われている素材、例えば泥とか石とかコンクリートとか、そしてそれらによって表される仕上げについてもうるさい。/“背景”と“仕上げ”・・・この両極端の間を言葉に乗って行ったり来たりしながら、なんとかその中間に位置し、広がる建築というものを捉えようとしている。(はじめに)

 タイトルを見て気軽にネットで貸出予約をしたが、届いた本を見て驚いた。何と大部。全468ページ。藤森照信が月刊「積算資料」で連載してきた「建築あれこれ探偵団がゆく」をまとめたもの。全部で71件の建築物等と文章が収められている。冒頭に掲げたのは「はじめに」の最後の文章だが、なるほど藤森氏の建築探偵の視点はここにあったかと頷く。
 「Ⅰ章 工法・造形・素材」から始まり、東京駅の鉄骨煉瓦造を皮切りに、木造、コンクリート造と続き、「造形」、「素材」の各テーマで分類されている。煉瓦造が関東大震災以降、なぜ日本で発展しなかったのかという疑問への回答も興味深いし、コンクリート造の仕上げについて、鉄筋コンクリート造の祖、モニエの給水塔を訪ねるところから、世界初のコンクリート打ち放し建築と言われるペレのル・ランシーの教会、ミュンヘンのコンクリート小叩きの建築群、さらに本野精吾の旧鶴巻邸、レーモンド自邸など訪ね歩き、最後の結論に至る一連のシリーズも興味深い。
 「Ⅱ章 人物」では、丹下健三ル・コルビュジエアドルフ・ロースミース・ファン・デル・ローエフランク・ロイド・ライトなどを取り上げるが、特に丹下健三の偉大さへの評価が際立っている。「Ⅲ章 宗教」「Ⅳ章 歴史」では世界の教会や修道院ナチスドイツの建物や世界の史跡などを見て回る。その中では、キリスト教アール・ヌーヴォーの関係などが興味深い。そして自然と建築物との関係について、自らの設計コンセプトと対比して思索を巡らす。
 いつ読んでも、何を読んでも、藤森氏の本は面白いが、本書はさらに内容満載で充実している。建築学科学生のテキストにしても十分な内容を備えている。

藤森照信の建築探偵放浪記―風の向くまま気の向くまま

藤森照信の建築探偵放浪記―風の向くまま気の向くまま

○鉄骨煉瓦造の東京駅・・・関東大震災が襲う。でも、ビクともしなかった。・・・実は、当時の震災被害の調査報告を見ると、煉瓦造も、帯筋・丸棒入り煉瓦造も、鉄骨煉瓦造も、鉄筋コンクリート造や鉄骨造に比べ特別壊れているわけではない。・・・同じ程度の壊れ方だったのに、なぜ震災後、煉瓦造は・・・造られなくなったのか。・・・震災後の構造は、佐野利器の強力な指導により鉄筋コンクリート造一色に統一されてしまう。辰野の没後、日本の建築界のトップに立ったのは、東京駅の鉄筋コンクリート化を進言したが撥ねられた佐野だった。(P014)
○鉄筋コンクリート表現について・・・今は、次のように考えている。/“1910~20年代、コンクリートという新しい材料と構造をどう表現するかに取り組んだ世界の革新的建築家たちは、ブロック、小叩き(ハツリを含む)、モルタル塗り、打ち放しを試みたが、やがて打ち放しに収束してゆく“(P124)
○戦後、日陰に隠れてしまった左官の仕事に光を当て、その重要性を浮かび上がらせたのが石山の伊豆長八美術館なのである。/この仕事の後、石山は名言を吐いた。/「表現は技術を刺激する」/技術と表現の関係は20世紀建築の核心に位置する問題で、鉄やガラスやコンクリートといった技術を使っていかなる表現をするかについて、多くの先人たちが実践上も理論上もさまざまな努力を積み重ねてきた。そうした長く厚い歴史の中に置いても、石山のこの一言は輝きを失わないだけの力を持っている。(P174)
○建築と周囲の自然との関係をどうするかは楽ではない。一歩間違うと自然を壊すか、建築を消すか、どちらかに至る。・・・そこで私は、自然と親和力のある自然由来の素材を多用することを試してきたが、こうしたやり方以外にも方法はあることを2200年前の建築が現物をもって教えてくれた。/勘所は二つ。一つは自然の斜面がそのまま人工物の斜面へと繋がっていること。・・・もう一つは、建造物と自然との接点の処理にあり、両者が断切していないように見せること。(P392)
キリスト教は、この人類誕生の物語において肝心なことを言外に隠しているが、要するにアダムとイヴは性の悦びに目覚め、そのことで楽園から追放され、そして・・・性の悦びに目覚めた結果として子供が生まれ、そこから人類の歴史が始まる。この性の悦びに目覚めたことこそ、キリスト教の言う“原罪”にほかならない。・・・アール・ヌーヴォーが好んで登場させる動物と植物が語るのは、/「20世紀はキリスト教の代わりに“生命”を発見した。・・・」ということになる。(P420)