多摩ニュータウンを歩いてきました。(その1)

 先月の猛暑の最中、いやそれでも曇りがちで、名古屋に比べればまだしのぎやすい天気だった。上京する機会があり、ついでに多摩ニュータウンを歩いてきた。午前中に練馬区で用事があったため、その後、光が丘団地を見学。中心の商業施設IMAで食事をした後、少しその周辺を歩いてみた。IMAの東側には幅の広い歩行者専用道が通っており、少し歩くと、広大な光が丘公園につながっている。周辺のマンションはどれも公共住宅らしい仕様だが、きれいに手入れされている。公園の南東には練馬光が丘病院。そしてその向かい側では大規模な工事が行われていた。調べてみると、清掃工場の建替え工事。住宅団地の中央に清掃工場があるというのは、周囲の既成市街地への配慮の結果だろうが、周辺環境へ十分配慮されていれば特に問題はない。
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 入居開始が1983年。都営地下鉄大江戸線の開通が1991年で、その間はやや陸の孤島という感じだったのではないか。でも1995年には「子どもの数が激減。小中学校の統廃合案が実施」Wikiに書かれており、団地が開発されると一気に入居が集中した当時の東京における住宅事情が想像される。少し歩いた後、地下鉄で新宿に出て、京王電鉄多摩ニュータウンに向かった。
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 京王多摩センター駅に降り立つと、まずは広大なペデストリアンデッキを南に向かう。20年近く前にサンリオピューロランドへ行った時も、その広さに驚いたが、やはりすごいなあ。名古屋から出てきた田舎者はまずはその規模感に驚く。大規模商業施設に挟まれたパルテノン大通りを進むと、階段がそそり立つコミュニティセンター「パルテノン多摩」がある。入り口に「多摩ニュータウン建物ウォッチング」という告知があったので、覗いてみた。一室で開催しているかと思ったら、4階の廊下にグルっとパネルが掲示されているだけ。それでもこれから多摩ニュータウンを歩こうという者にとっては、まずはここで、過去に話題になった住宅などを思い起こした。
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 4階から南側へ抜けると、多摩中央公園。気持ちのいい芝生広場が広がるが、暑いので木陰を縫ってゆくと、「遊歩道・多摩よこやまの道」の看板が出ている。事前にガイドマップも入手しており、この案内に沿って歩くことにした。しばらく歩くと、公園内に民家が現れる。「旧富澤家住宅」。ニュータウン内でこうした古い民家を見かけるのは面白い。代々の連光寺村の名主の家で、1990年に復元移築したもの。かなりの規模を持ち、前面の庭と池も気持ちいい。桜美林大学の施設を抜けると、「プロムナード多摩中央」団地の中を通る。
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 1987年建築、坂倉建築研究所設計。団地の中央を走る歩行者専用道路に向けて、アトリエなどに利用できるフリースペースと称する1室を持つ「プラス1住宅」が並ぶ形式は当時かなり話題となって、私も見学に訪れた記憶がある。フリースペースはどこもカーテンが引かれ、積極的に店舗などで利用されているところはなかったが、日に焼けたシェードに微かに「アトリエ」の文字が読めたりして、名残りは残っている。何より樹木が育ったプロムナードにフリースペースが変化を付けた外観は歩いていても気持ちがいい。
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 中高層の団地を抜けると、低層住宅が集まった「タウンハウス落合」と「タウンハウス鶴牧」がある。歩行者専用道から引き込まれるように入っていくと、2階建ての長屋建て住宅に囲まれてインターロッキングの道路空間があり、アールの付いた玄関ポーチや赤いスペイン瓦、2階窓下棚に置かれた鉢物など、どこか南欧を思わせる街並みだ。不動産情報によれば、このあたりは1982年前後の建築で、2500万円前後で取引されているらしい。
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 西に向かって歩くと、公園の突き当りに小さな水場があり、子供たちが遊んでいる。鶴牧東公園。ここの鶴牧山から多摩ニュータウンが一望できるというので登ってみた。登頂30秒。確かに360度、多摩ニュータウンが一望。高層マンションや中層マンション、その先には煙突も見える。公園もよく整備されており気持ちいい。だが暑い。さまざまな住宅が見える中でもタウンハウスに目が行って、南東方向、タウンハウス鶴牧を経て、奈良原公園を東に向かう。
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 タウンハウス鶴牧の三角の妻面の窓辺に飾られた赤いベゴニアがきれい。また囲み庭もいい感じ。奈良原公園内にはテニスコートがあり、プレーを楽しみ人の姿が見られた。公園の南側がエステー鶴牧。白を基調とした外観は品のある感じ。この後、様々なタイプの外観を有した集合住宅が現れる。これらをクリップして歩くのも面白いかもしれない。橋を渡って宝野公園。球技場ではラグビーをしていた。遊歩道のルートに従い、少し南に下がって、るんるん橋、恐竜橋を渡る。歩道橋に色々な名前が付けられているところが面白い。恐竜橋には金属製の恐竜のモニュメントが設置されていた。
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 落合中学校、落合団地、豊ヶ丘団地を抜けて、白雲橋を渡る。このあたりからかなりバテてきて、記憶も散漫。妻面タイル張りやアールの付いたバルコニーなど色々な外観のUR賃貸住宅が並んでいた。さらにコスモフォーラム多摩は民間分譲マンション。ホームタウン貝取エステー貝取はUR分譲住宅のようだ。歩いていたら、京王ストアの移動販売車が止まっていた。次のところへ移動すべく片付けの最中で、客はいなかったが、「京王ほっとネットワーク」のサイトを見ると、かなりきめ細かくニュータウン内を巡回している。移動販売だけではなく、空き家巡回や買い物サポート、リフォーム、家事手伝いなど様々な事業を展開している。多摩市の支援もあるようだが、民間ベースでこれらの事業が展開されているのがすばらしい。続いて、青陵中学校の前を通り、都営貝取2丁目団地を過ぎて、さんかく橋を渡り、永山地区に入る。
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 長いので、続きは(その2)へ。

「都市の正義」が地方を壊す☆

○日本社会の人口減少は、地方のみならず首都圏を含めた国民全体の課題である。そして東京一極集中はこの国の構造そのものだから、首都・東京こそがこの問題の中心的な当事者であるはずだ。/にもかかわらず、国民の多くがこの地方創生をまるで対岸の火事のように感じ、・・・人口減少問題をまるで地方に責任があるかのように押し付けてしまっている。(P4)

 「はじめに」においてから怒っている。地方創生は「人口減少と東京一極集中の阻止」だったはずが、いつの間にか、地方が問題の元凶にさせられ、「競争と淘汰」の中に投じられてしまっている。このことは「地方消滅の罠」で既に危惧し、批判してきたことだ。それから3年余。日本創生会議の増田レポートを受けて始まった地方創生(まち・ひと・しごと創生)の取組が、当初はしっかりした現状認識からスタートしたと見えたものの、すぐに方向を変えて、自治体間の競争を煽るものになってしまった。
 「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」「同総合戦略」から読み解き、その後の各年の「基本方針」と「総合戦略」、そして2017年末に公表された中間評価まで検証した。その結果、いかに「地方創生」が名ばかりのものであり、かえって地方を疲弊させるものになってしまっているかを、北海道ニセコ町東神楽町山形県飯豊町の実例もまじえて検証し、批判する。
 その元凶は「都市の正義」。そして最大の要因はすべてを「経済」中心で考える思考法であり、それを押し付ける政府。第1章でそうした政策としての「地方創生」を分析した後に、第2章で「人口減少」の真因である「都市化」を指摘する。その背後には、国家を頂点とする中央集権的な「威信」の構造があること、また「依存」にも「良い依存」と「悪い依存」があることを第3章で示す。
 「選択と集中」「競争と淘汰」は非常時の論理であり、「排除」と不信を生み、最終的には国家を解体するものですらあることが第4章の前半で述べられている。地方創生の名の下に行われる観光政策にしろ、公共事業にしろ、すべては中央が儲かる仕組みになっている。そして利用された地方は「排除」され、捨てられるのみ。第4章の後半では、こうした中央集権・東京主義・経済優先・競争主義の「都市の正義」に対して、本来の「統治」とはいかにあるべきか。適正な規制、問題解決できる統治力、そして「多様なものの共生」による正しい「都市の正義」について問う。
 第5章「人口減少を克服するための地方創生とは」では、具体的な政策提案まで踏み込んでいる。しかし一方で、現実の政治状況を見れば、そこへ移行していくのは相当に厳しい。本書が書かれたのは安倍政権がモリカケ問題などで大きく揺さぶられて、総裁選再選の行方が不透明な時期だったそうで、それゆえにまだ将来に対してある程度の希望を持つことができたようだ。しかし今は・・・。
 だが、本書で描くように、未来がまったく失われたわけではなく、「地方創生」という方向自体が間違っているわけでもない。ただ、現状認識と方向・方策が、政府と国民、中央と地方の間で大きくズレている。それを正さなければならない。山下祐介氏の示唆は常に現実と未来を冷静に見通し、かつ、人間味にあふれている。

○私たちはどこかで人口減少を経済の問題だと考えてしまっている。だが、そうしたすべてを経済中心に考える思考法そのものが、人口減少を引き起こす元凶なのだ。・・・家族をつくり子どもを生み育てるのは、経済ではなく人であり、社会だ。人や社会を否定する価値の導く政策が、人を生み育て、社会を健全に統治できるはずがない。(P111)
○あまりにも国家に権限が集中しすぎたことによって、日本中の機関が首都圏に集まり・・・事業所が集中して・・・多くの人が長距離移動を行って自らの役割と家族の形成を必死で両立させようとしている。/人が、社会が、経済や国家に合わせて動いている。だが、人はそれぞれ生きた生身の個体である以上、その頑張りには限界がある。その限界の表れが、合計特殊出生率の極端な低下ということなのだろう。(P148)
○依存には良い依存と悪い依存がある。/それぞれが完全に自立していては国家にならない・・・。互いに依存し合い、支え合い、補い合い、協力し合うことで分業は行われ、国家は成立する。・・・共依存はむしろ支え合いであり、国家にとって望ましく、必要なことである。/それに対し、私たち国民が今国家に対して陥っている依存は、どうも悪い依存のようである。/地域間の共依存からなる国家、そういうものはありそうだ。(P158)
○そもそも「選択と集中」とは、非常事態の論理なのである。それは一時的、限定的に使用すべきもので、決して社会の常態に持ち込んではならないものだ。・・・すべてを守ろうとすると闘いに負けてしまうので、一部の犠牲はやむを得ない―これが「選択と集中」の根幹にある考え方だ。そしてこの生存をかけた闘いが・・・内側に移されたときに、「競争と淘汰」が現れる。・・・「選択と集中」と「競争と淘汰」は・・・ある者たちの「排除」を伴うものだ。(P200)
○地方創生の目的は、「まち・ひと・しごとの好循環」を作るということだった。/ところがそれを最初のところで「まずはしごと」に集中した。集中した途端に、この政策は失敗したのである。そこで対流は止まり、循環はなくなった。・・・いまの都市の正義に欠けている一番大切なもの。/それは循環である。/循環がなくなると・・・依存が依存で止まる。共依存でなくなる。/そして何より、問題を解くことができなくなる。(P249)
○統治とは、適正なルールを仕立てて、暮らしや経済のゲーム・・・がずっと持続するよう調整することである。/社会に導入されているルールのうち、どこを規制し、どこを外すか。いずれにしても規制緩和とか自由とかが大切なのではなく、規制の内容が大切なのである。・・・「適正な規制」が必要なのである。それも状況に合わせた規制が。事態をしっかりと観察し、結果に応じて規制を変えていく。そういう能力が統治者には求められる。(P252)

縮小まちづくり

 米山秀隆と言えば、空き家問題の専門家というイメージがあるが、本書では空き家問題の前提となる都市の縮小・地域の縮小をテーマに、第1章・第2章ではエリアマネジメントやコンパクトシティ政策でいかに都市を縮小していくかを考え、第3章・第4章では縮小する地域にいかにマネーと人を呼び込むかを考える。そして第5章では専門の空き家・空き地問題について解決策を探る。
 といっても、これらの方策を自ら提案するというのではなく、それぞれ先進的な事例を挙げて、その内容と効果などを考察し、今後の課題をまとめる。例えばエリアマネジメントでは、シーサイドももちや山万(株)のユーカリが丘尾道市鶴岡市におけるNPOの取組などが挙げられる。内容的には既に知っているものも多いが、例えばユーカリが丘の事例でも米山氏がまとめると目の付け所が変わってくる。有名な徳島県神山町の事例もその始まりから的確に紹介されると、大南氏のすごさというだけでなく、ある程度、運にも支えられていることがわかる。島根県海士町の事例についても同様。いずれにしても唯一の解はないし、それぞれの地域の状況に応じて試行錯誤するしかない。
 第3章「マネーを呼び込む」の中でクラウドファンディングが紹介される際に「マイナス金利」という金利環境が強調されるが、今後、金利が上昇局面に入ったらどうなるんだろう。「共感」と「資金集め」の関係をもう少し掘り起こす必要があるのではないか。
 そういった細かい疑問はさておき、やはり米山氏に期待するのは第5章、空き家・空き地問題である。ここでは久高島の土地総有制の紹介が興味深い。1988年に久高島土地憲章を制定し、土地の総有制を明文化し、利用管理規則を定めている。久高島では2年間着工しない宅地、5年間放棄された農地は、字へ返還しなければならない。土地の利用は土地管理委員会と字会の承認が必要とされる。しかしそれを全国に適用するのは不可能だ。そこで米山氏は、所有と利用を分離し、強力な主体による利用の推進を提案する。また所有権放棄に伴う放棄料の徴収なども提案している。現実的な提案。もちろん実現にはかなりの困難が伴うだろうが、国で真剣な議論が期待される。
 「縮小まちづくり」の前提には「縮小する人口」がある。その現実をまだ多くの国民が十分認識していないように感じる。そろそろ真剣に考え始めないと大変な事態がやってくる。そんな危機感を共有し、その方策を考えてみよう。本書の副題「成功と失敗の分かれ目」の主体は「地方」ではなく、「国」であることを理解しなければいけない。

縮小まちづくり ―成功と失敗の分かれ目―

縮小まちづくり ―成功と失敗の分かれ目―

○世帯アンケートを3年に1回行っているほか・・・年に3回ほど1軒1軒訪問し、住民の声を直接聞いている。人間関係の構築が、後々のリフォームや物件活用などのビジネスにもつながっていくとの考えである。/このようにユーカリが丘では、まちの成長管理を行い、住民の新陳代謝や建物の再利用を進めていくことでまちを持続させ、事業もまた永続させていくという理念を実践している。・・・社員の過半がまちに住み、業者としての立場から、また住民としての立場からエリアマネジメントを支えている(P17)
○森林保全のため間伐を促すとともに、地域の消費を活性化させようとする仕組みが2009年に岐阜県恵那市中野方町地区で始まった「モリ券」の仕組みである。・・・補助金を得て発行するモリ券で間伐材を相場より高値で買い取る・・・木材チップ価格3,000円に補助金3,000円が上乗せされ、6,000円分のモリ券と交換される。モリ券は、スーパー・・・など地元の商店30店舗以上で使用することが出来る。・・・「軽トラとチェーンソーで晩酌を」という合言葉が、この取り組みが気軽にできるものであることを象徴している。(P110)
○マンションでは除却に億単位の費用がかかる。代執行も困難だが、仮に代執行して費用が回収できない場合、それは納税者全体で負担することになる。区分所有者が必ず負担する形にするには、除却費用の積み立て義務付けが考えられる。しかし、その実効性を確保することが難しいのなら、固定資産税に上乗せする形で毎年少しずつ徴収する仕組みが有効となる。(P177)
○人口減少下で今後、放置、放棄されたり最終的に所有者不明にな田t利する土地がますます増加する可能性を考えれば、総有的な管理の仕組みを導入する必要性は高い。/具体的には、放置、放棄される土地を第三者が共同管理する仕組みを導入することが考えられる。所有権には手を付けず、利用の共同化を進めるものである。・・・それを推進する強力な主体を必要とする。(P186)
○今後、こうしてなし崩し的に放棄され、国が引き取らざるを得ない不動産が増加していく可能性を考慮すれば、最初から所有権の放棄ルールを明確にしておく方が望ましい。・・・国の所有に移ると、国の管理負担が増すが、これについては放棄時に一定の費用負担(放棄料)を求めることが考えられる。(P191)