グルッポふじとう(高蔵寺まなびと交流センター)、オープン

 新年度を迎えた先週日曜日の4月1日、高蔵寺ニュータウン内に新たな市民交流拠点「グルッポふじとう」がオープンした。「まなび」「交流」「居場所」をコンセプトにした多世代交流拠点施設というのが、春日井市が紹介する施設のコンセプトで、図書館、児童館、コミュニティカフェ地域包括支援センター、こどもとまちのサポートセンター及び体育館などで構成されている。
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 メインの施設は東部市民センターから移設した図書館。かつての教室の界壁があるのは少し煩わしいが、貸し借りなどの手続きカウンターが数ヶ所にあり、スペースも利便性も、格段に上昇した。持込パソコン室があるのもうれしい。また、3階には黒板などをそのまま生かした学習室や会議室があって、懐かしく、面白い。3階には他に、子育て相談や子供の発達支援・就学支援等を行う「こどもとまちのサポートセンター」がある。
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 そしてこの施設の顔とも言えるのが「コミュニティカフェ」。正面入り口の横に突き出してパラソルの開いたデッキがあって、人を呼び込んでいる。「g café Fujito」、施設入口を入って右側にある。黒く塗られた配管等がむき出しの天井、カウンターと軽い感じの家具類は、スタバなどを思わせる。朝8時から朝ごはんタイム、ランチタイム、おやつタイムと18時まで営業。土曜日は21時までバルとしてワインなども提供する。さらにその隣には、たまりばルームとえんがわルームがあり、自由に利用できる他、スペースの貸出も行っている。また、入口左側にはギャラリーと地域包括支援センターがある。
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 カフェを中心にギャラリーと各ルームまでが「コミュニティカフェ」で、一括してNPO法人「まちのエキスパネット」が管理運営をしている。また3階の「こどもとまちのサポートセンター」も同様に「まちのエキスパネット」が指定管理者として選定された。ちなみにNPO法人「まちのエキスパネット」(事務所も4月1日にグルッポふじとう内へ移設したばかりで、HPもまだ移設途中みたいなので、詳しい内容は旧アドレスを見た方がいいかも)は、高蔵寺ニュータウンを中心に、障害児や子育て支援をメインとした活動を展開するNPOだが、理事長の治郎丸さんが非常にアクティブな方で、「うずまき音楽アワード」などの音楽イベントや商店街と連携した「和っか市」、ピッツァ&パスタ専門店「バルカフェ・ボーノ」も開店するなど、主婦や障害者も雇用しつつ、幅広く事業を展開している。これまでのNPO活動で培ってきた人脈も広く、この施設の設計には私の知人の建築家も参加させられたと言っていた。
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 施設全体は、春日井市を中心に出資を募り設立された「高蔵寺まちづくり(株)」が指定管理を受けて運営管理している。ちなみに図書館は、高蔵寺まちづくり(株)から丸善雄松堂へ委託したと聞いたが、民間の力を得て、今後どう変化していくか楽しみだ。また施設のオープンに合わせて、地域住民サポーターを募集している。開所式の前にはサポーター一同で掃除なども行い、当日は施設案内等の業務を担当した。今後も花壇の手入れやイベントの手伝いなど、さまざまな活動を地域で担っていく。
 私も「グルップふじとう」の命名者の一人(公募提案から命名。私は娘の母校でもある藤山台東小学校の愛称「ふじとう」を応募した)として開所式に出席したが、妻も翌日に図書館を利用し、きれいになったと驚いていた。今日はお昼に「g café Fujito」のランチを食べに行ったが、既に日替わりランチは売切れで、パラソルの下にも子供連れのママさんたちで賑わっていた。また室内には一人で食事をしている高齢者も数人いた。もちろんまだ開所して数日。様子を見に来た人が多いと思うが、来週、来月、そして来年と、この施設がどのように使われ、地域に根付いていくか、その変化を楽しみにしたい。少なくとも私はこれまでと同様、週に1回、図書館目当てで施設を訪れる予定だ。

「ゆいま~る大曽根」を見学

 昨年8月に紹介した「ゆいま~る大曾根」は9月に入居が始まっている。その後、追加分30戸も公社からの賃貸が決まり、現在、第2期分の工事と募集が行われている。また、1階の大型店舗だった部分も、地域コミュニティ拠点としてNPO法人「わっぱの会」が借り受け、ショップやカフェなどからなる「ソーネおおぞね」として4月1日にオープンする。その内覧会が開かれた3月25日に、都市住宅学会公共住宅部会主催で見学会が行われたので参加した。
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 サービス付き高齢者住宅「ゆいま~る大曾根」の概要については、先に紹介したとおり。さっそく3タイプある各部屋を見学させてもらった。玄関ドアは一般の公社住宅とまったく変わりがない。だが、ドアを開けると、広い土間空間が広がっておりびっくりする。丸椅子が置かれたり、観葉植物が置かれたりとその利用方法はさまざま。靴を脱ぎ、室内に入ると、ベランダまでLDKが広がってベランダに沿って寝室があるAタイプと、玄関側の多目的室がベランダ側に広がるLDKと引き戸で仕切られたBタイプ、さらに多目的室とLDKの間に収納があって、狭いスロープでつながったCタイプの3種類がある。CタイプはLDKの床を上げないことで改修費を節約している。どの部屋も快適な感じ。いずれも住戸面積は50m2近くあり、一般の公社住宅と一緒だ。既に入居していた「サ高住」から転居してきたという人も数組いたそうだ。
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 「サ高住」ならではの生活サポートだが、24時間緊急通報はセコムのマイドクタープラスを利用して、ヒモを引けば必ず駆け付けるようになっている。また日頃の安否確認は、毎日、1階の「ゆいま~るフロント」の前に設置されたボックスへ、各自に渡された木札を投入することで確認をする仕組み。自立した高齢者を対象とした公営住宅のシルバーハウジングでは、電話や訪問による安否確認を嫌がる高齢者も多い。有料老人ホームと化した「サ高住」では、毎日訪問した方が安心かもしれないが、あくまで自立者を対象とした大曾根住宅では、こうした対応が喜ばれている。もちろん、相談事があればいつでもフロントにハウス長の石黒さんが常駐しているので、安心して頼ることもできる。木札方式というのは、なかなかいい仕組みだと感心した。
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 ちなみに、近隣で新築の「サ高住」は、生活支援費も含めると約15万円だそうで、既存住宅の改修で約10万円で入居できる「ゆいま~る大曽根」は、自由で自立した生活ができると好評のようだ。これこそ「サ高住」本来の姿のはず。ちなみに第2期30戸は7月1日入居予定で募集も既に始まっている。
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 そして、今回の見学のもう一つの目玉が地域コミュニティ施設「ソーネおおぞね」。障害者の雇用支援などの活動を行っているNPO法人「わっぱの会」が運営し、資源買取センター「ソーネ しげん」、カフェレストラン「ソーネ カフェ」、販売ショップ「ソーネ ショップ」、総合相談・地域サービスセンター「ソーネ そうだん」、多目的フリースペース「ソーネ ホール」の各施設で構成されている。
 資源買取センター「ソーネ しげん」は、家庭等から出る資源(新聞・雑誌・牛乳パックから食器、自転車まで)を現金やポイント(「ソーネ ショップ」などで利用可)で買い取る仕組みで、たぶんNPOとしてこれまでの実績もあるのでしょう。障害者だけでなく学生ボランティアとみられる若者も一緒に元気に働いていた。理事長さんからは、スペースが広くて、カフェレストランやショップがうまく回っていくかと心配をしていたが、全体で480戸もある公社住宅の1階に自然に収まっており、十分可能性はあると感じた。木質を基調した内装もおしゃれで、なかなか居心地がよさそうだ。
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 当初は自治会からは「これ以上高齢者を増やしてほしくない」という意見も出たが、施設内容等を説明する中で理解をいただいた。質疑応答の中で私から「生活支援サービスを一般住戸へも拡大する可能性」については聞いたが、意欲的な反応を示されていた。配布された資料を後日拝見すると、今後の展開として、一般公社住宅や周辺地域も含めた包括ケアシステムの構築を掲げている。個人的には、最初から高い理想を掲げるのではなく、まずは、「生活支援サービス(安否確認・緊急通報・生活相談など)を一般公社住宅の入居者も利用できますよ」といった軽い感じで始めていただくといいのではないかと思っている。
 なお、唯一の課題として、県公社との契約が20年の定借になっていることから、本来、入居者とは終身契約としたかったが、20年の定借契約にせざるを得なかったことを挙げておられた。定借期間が間近くなってきた時の対応などは確かに問題になりそうだ。ただしそれは県公社住宅の建替え計画との調整が必要ということ。公的住宅の賃貸という点では、たとえ定借契約であっても一定の安心感はあると言える。
 分散型サービス付き高齢者住宅は、コミュニティネット(株)がURの高島平団地で始めたのが第1号。しかし施設系も同時に整備したのはこの「ゆいま~る大曽根」が最初とのこと。既存一般住宅の一部を分散的に賃貸することで、広さも居住環境も一般住宅と同じ状況を作り出すことができた。さらに、分散型とすることで、生活支援サービスの一般住宅への展開にも可能性が見えてきた。今後、こうした分散型「サ高住」がさらに多くの地域で供給されることを期待したい。

ニュータウンの社会史☆

ニュータウンのなかに入り込んでたくさんの経験を積んでいくなかで、「オールドタウン」だとか、高齢化で限界集落間近だとか、犯罪の巣窟だとかいって、一方的に切って捨てる、その視線のありように激しく反発を覚えるようになった。人の生活や営みを、その具体的な中身に踏み込まないまま十把ひとからげにして批判することはできない。いや、するべきではない。むしろ人の生活や営みに寄り添いながら、自分のできる範囲で一緒に考えたり行動したいと考えるようになっていった。(P250)

 「あとがき」の一節である。筆者は、20代半ばに多摩ニュータウンにあるパルテノン多摩学芸員として働き始め、結婚を機に多摩ニュータウンに転居した。現在は桜美林大学の准教授を務めているようだが、多摩ニュータウンを外から、そして内から観察し、研究してきた成果としての本書の出版となっている。
 各章は専門書や学会誌などで執筆してきたものがベースとなっており、第1章「病理と郊外」は「ニュータウンとは何か」といった視点から書かれているが、それ以降は、第2章「開発と葛藤」では開発過程における周辺農村地域との関係を、第3章「実験と抵抗」では実験都市としての多摩ニュータウンと入居者との関係、第4章「移動と定住」では居住環境という視点から住居学的に、そして第5章「断絶と継承」では地域の伝統やニュータウンの歴史がどう作られていったかという民俗学的な視点から書かれている。
 改めてタイトルを見ると、「ニュータウン社会学」だと思っていたが、「社会史」。しかし、単にその経過を追うのではなく、ニュータウンも含めた地域社会の視点から多摩ニュータウンの開発と現在に至るまでの過程を読み込もうとしている。
 第5章の終わりに以下のような文章がある。

ニュータウンは時の経過とともに「オールドタウン」になるのではない。ニュータウンは「タウン」になる。ただそれだけのことだ。そしてそれは、「ニュータウン」というカテゴリーの消失をも意味することになるのである。(P238)

 まさにそのとおり。私も高蔵寺ニュータウンに住んで、同じ感想を持ってきた。周辺の旧市街地とは多少の成り立ちは違うかもしれないが、時が経てば、ただのタウンになる。旧市街地にもそれぞれ成立の経緯があって、江戸時代以前からの宿場町や城下町もあるだろうが、多くは日本の近代化が進む中で、鉄道駅の開設や主要施設の建設などに伴って、まちが形成されてきた。その意味では、ニュータウンだけでなく、その他の市街地においても、また農村などの集落においても、本書と同様の「社会史」を掘り起こす意味があるのかもしれない。
 例えば、多摩ニュータウンの当初構想では、住宅市街地と農地経営の両立が目指されていたという。それは新住宅市街地事業が適用されるにあたり、農業経営の視点がばっさりと切り取られていく。市街化区域と調整区域を画然と切り分ける日本の都市計画では両者の両立はそもそも無理だったのではとも思うが、一部地域に区画整理事業を導入することによって、漸進的な土地利用も可能となった。
 また、単一の公共団体の創設の必要性も当初から視野に入っていながら実現できずにいる。その点、高蔵寺ニュータウンは全域が区画整理方式で開発されたし、全域が春日井市内に存する。その点でも多摩ニュータウンとは、同じニュータウンといっても違いがある。一方で旧住民と新住民のあり方も興味深い。これは多摩でも高蔵寺でも同じかもしれない。だが、ニュータウンがただの「タウン」になれるかどうかは、旧住民側の意識にかかっている。いや、旧住民ではなく、一般市民として特定の地域にどういう目を向けるかという問題。そう思えば、差別部落もニュータウンも観光地も同じ。地域の特色に対して他地区の住民はどう向き合えばいいのか。居住者はどう向き合うべきなのか。
 そんな視点からも、居住者として高蔵寺ニュータウンの歴史や現状を知るのは面白いし、同時に、生まれ故郷である蒲郡市の行く末についても強く興味を抱いている。もっとも、蒲郡についてはなかなか研究する機会も時間もなく、たまに帰ってその変貌に驚くだけだけれども。

ニュータウンの社会史 (青弓社ライブラリー)

ニュータウンの社会史 (青弓社ライブラリー)

○東京都が進めていた多摩ニュータウンの前段階での計画案では、緑地が多い市街地を育成するだけでなく、農地も保全していくことが想定され、市街化と農業経営を同時に実現させることが目指されていた。ところが、のちにこの計画が新住宅市街地開発法という法律に飲み込まれることによって、農住一体の考え方は破綻をきたし、大きな転換を余儀なくされることになる。(P47)
○この陳情書が要求するのは、結論としては「日本住宅公団による国家的な開発を進めて」ほしいというものだったが、その理由が「従来の農業経営を多角的に改善」するためとされていたことに注目する必要がある。・・・農作物の消費者の受け皿となりうる団地を誘致することによって、その開発用地周辺の農地を活用して都市近郊農業への転換を図ろうとする思惑もあった。つまり・・・開発を引き込みながら、同時に地域の内発的発展が目指されていたのである。(P65)
○1968年10月の段階ですでに、美濃部都知事の私的諮問機関・東京問題調査会が・・・「多摩ニュータウン地域を包摂する新しい単一の公共団体」の創設を提言している。・・・ところが、地元市では「ニュータウンに人口が完全に定着してから考えてもおそくない」として二の足を踏んでいた。/こうして、行政一元化の必要性はそのつど指摘されても、問題は棚上げ状態でなし崩し的に入居が開始され・・・具体的な動きがないまま、市民生活のひずみが増大していくのである。(P118)
○結果として、多摩市が要望していた高所得者層の誘致を軸とするニュータウン像の転回はほぼ実現されることになったが、そのためには、街の雰囲気やイメージがより重要な鍵を握るようになる。「街の価値」を高めるための取り組みが積極的におこなわれ、「街を売る」という販売戦略が出てくるようになるのである。(P128)
○旧住民と新住民は、開発に伴って混在化していくことになるが、混在化の進展の過程では、双方の間でコンフリクト(対立・衝突)が生じることも多い。・・・しかし一方で、こうした新旧住民のコンフリクトが、期せずして開発前と開発後の連続性を意識させていることにも注意を払う必要がある。なぜならば、新住民は旧住民の姿を通して旧来の村落や貝の姿を見いだし、逆に旧住民は新住民を通して来るべき都市社会を予見しているからだ。(P198)