リバースモーゲージ型住宅ローン

 先日、住宅金融支援機構の方から、住宅融資保険を活用した「リバースモーゲージ型住宅ローン」の概要などについて話を聞く機会があった。「リバースモーゲージ型住宅ローン」とは、60歳以上の方が居住住宅を担保に、金融機関から融資を受けて、死亡時までは利息までの支払い、死亡後に担保物件の売却等により、借入金を一括返済するもので、住宅金融支援機構は、このローンを扱っている金融機関に対して、住宅融資保険を提供している。
 金利は、一般の住宅ローンに比べて高く、だいたい3~4%ということだが、例えば1000万円借りた場合、金利年3.5%として毎月29,166円の返済が死亡時まで続き、死亡時に住宅等を売却して、余剰金があれば相続人に支払い、元金の方が高ければ、その差額を相続人に請求するという仕組み。だが、今年度からノンリコース型が導入され、例え住宅等が元金ほど高く売れなくても、差額を請求しないタイプの融資が開始された。
 融資の対象は、利用者が住宅を建設・購入する場合やリフォームを行う場合の資金はもちろん、住宅ローンの借換えや子世帯等の住宅取得資金についても対象となる。ただし融資額は住宅の建設・購入の場合で5000万円、リフォーム等の場合で1500万円を上限に、かつ、担保不動産評価額の50又は60%に相当する額までとなっている。
 利用事例もいくつか紹介いただいたが、都心へのマンション住替え時の利用や、リフォーム時の利用、さらには元金が減らないため、子世帯の住宅建設に当たり、相続税対策として利用するケースもあった。特にノンリコース型は、子供世帯が既に独立し、持ち家を構えている場合など、死亡時に住宅等が売却されれば、空き家の管理で子供世帯を悩ませることもなくなる。持ち家所有者がこのローンを利用してリフォームを行い、快適な居住環境を手に入れ、かつ、老後は子供に金融資産以外は残さないという選択は大いに「あり」だと思った。
 ただし、死亡するまでは金利相当額を返済しなくてはいけない。例えば1000万円借りて、毎月3万円を返済するとすれば、28年以上生きると借入額以上に返済することになる。って、28年後と言えば、60歳の人でももう90歳近いじゃないか。逆に早く死ねば、多少は元金が戻ってくるかもしれない。ちなみに夫婦とも60歳以上でなければならず、二人とも亡くなるまで利用できる。
 わが家の場合、まだ娘が同居しているから、すぐに利用は難しいが、娘が家を離れたら検討しようかな。そろそろ快適なバリアフリーリフォームを考えてもいいような気がする。

「計画的縮退」について

 facebookで若い昔の同僚と議論をした。
 先に書いた「町を住みこなす」の後半で、高蔵寺ニュータウンの地域循環居住について書いたが、そこから「計画的縮退」について派生した。
 彼が「そろそろ『計画的縮退』が必要だ」というのに対して、私からは「行政的には難しいのでは」という微温的な意見を書いた。それに対して彼から「ズルズルとなし崩し的にとギリギリな低空飛行を続けるより、思い切って閉店ガラガラしちゃう方がみんなハッピーなような気がします」とコメントがあり、それにどう返答しようかと思い、ふと手が止まった。
 いろいろなことが頭に去来した。一つは、「それは若い考えだ。現実はもっと様々な考え、色々な人がいる。思い出も幸福感には重要な要素だ」といったこと。また、「計画高権に対する嫌悪。理想と現実が違うとして、理想の都市を実現するために、計画的に高権を発動することが正しいのか。計画で人々を動かすよりも、人々の流れに沿った計画であるべき」といったこと。さらに「人口が減少するにあたって、どういう住まい方・都市のあり方が理想なのか。都市的集中と過疎の二分化が本当にあるべき都市の姿なのか。それは欧米的都市像ではないのか。もっと薄く平べったい都市のあり方は実現困難なのか。情報化などの技術革新が都市の姿を変える可能性はないのか」とか。一方で、「日本の都市計画は50年早すぎた。これまでは、土地所有に対する権利意識などが強く、都市計画が日本人一般には十分理解し受け入れられていない状況にあったが、これからの若い人たちは意外に規律よく、都市計画を順守するのかもしれない」という思いも去来する。
 国土に対して人口は減少するのだから、土地利用が全体的に「希薄化」するのは確かだ。それが満遍なく希薄化されると、これまでと同様の都市インフラの維持は困難となる、ということも理解できる。だから、行政としては、行政サービスの「選択と集中」をせざるを得ない状況になることも明らかだ。すると、行政の選択肢は、「行政投資を維持・充実する地区と撤退する地区を、事前に空間的に明らかにする」か、「空間的な明示は行わず、ある程度の基準等に基づいて行政投資を行い、結果的に行政投資が集中する地区と、希薄な地区が生まれる」形にするかだ。「計画的縮退」というのが前者で、私が何となく指向しているが後者だ(「なりゆき縮退」とでも名付けておこう)。時代は前者に傾いている? 少なくとも若い元同僚はそう主張している。
 しかしそれではどちらがハッピーか? 「計画的縮退」では、撤退地区とされた住民からは異論が出るだろうし、その説得にかなりの行政努力を要する。しかも、縮退後の結果に対して、行政的な責任を負うことになる。一方、「なりゆき撤退」の場合、行政は、知らず知らずサービスが希薄となった地区住民からのクレーム対応に追われることになる。「ある程度の基準」にどれだけ客観性があるかが問題となるが、最後は説明して押し通すことになる。そうして、行政サービスが希薄となった地区からは、自主的に撤退する住民が現れだす。その後は加速度的に縮退が始まり、しかし一定程度、人口が減少した時点で、その地区に愛着と使命心をもった住民が残る。過疎化かもしれないが、地区が完全に放棄されるにはしばらく時間がかかる。そしてまた時代が変わり・・・。
 これは結局、計画経済か、市場経済か、という選択なのだろうか。都市政策に計画経済と市場経済のアナロジーは適合するのか。もちろん完全自由主義とはいかないと思っているが、どこまで規制して、どこまで計画的であるのかは難しい問題だ。都市計画サイドからは、日本の都市計画は市場経済に引き摺られ、規制が十分ではないという議論が多く語られるが、確かに都市化という部分ではそうであったと思う。しかし過疎化という部分では、都市計画に十分な理論があったとは思えない。そして今、「計画的縮退」ということで過疎化を計画的に進めることには、やはりためらいを覚える。行政サービスの希薄化はやむを得ないとして、その結果、過疎化が進む地区の住民に対しては、「追い出す」のではなく、継続居住を温かく支える姿勢が重要に思う。それが「なりゆき縮退」なのだろうか。ここまで書いてもまだ、自分の考えがまとめきれない。
 とは言っても、私は既に第一線を退いた人間だ。微温的な意見を言ったところで、それで第一線に舞い戻ることもないだろう。だからこれからの都市づくりは、これからの若者たちに任せるしかない。人口減少化の日本の都市はどうなっていくのか。それをこれからは第三者的に、客観的に観ていこう。都市やまちの変化、さらには、むらや国土の変化というのは、何時になっても、いくつになっても楽しいものだ。

ラ コリーナ近江八幡

 岐阜羽島コストコへ行きたいと妻が言う。でもそれだけでは面白くないともう一足伸ばして「ラ コリーナ近江八幡」まで行ってきた。言わずと知れた藤森照信の作品。正直言ってもう少し近いかと思っていたけど、八日市ICを下りてから約30分。意外に時間がかかった。案内看板に従って左折すると駐車場がいくつかに区分されてある。なるべく正面の駐車場に停めるが、そこからは生垣に遮られて建物は見えない。少し歩いて生垣の間を抜けると、緑の原っぱの向こうに、緑に包まれた三角屋根の建物が見える。
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 どの駐車場の区画から入っても、各入り口から建物正面に向かうように、三和土で固められた通路が集まっている。そして建物正面に平行して低く深い軒。その下は日陰となって気持ちよさそうなベンチが置かれていた。庇の下には曲がりくねった柱が並ぶ。建物入口を入ると広いエントランスがあって、右にバームクーヘンのショップ。左には和菓子のカウンター。どら焼き直売コーナーを囲む配置の和菓子カウンターの商品を見ながら一回り。和菓子の抜型を張った飾り壁もあっておしゃれだ。
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 2階カフェに向かう階段があったが、そこを通り抜けて、エントランスロビーの奥から外に出ると、そこはまた藤森照信ワールド。小山を背景にのびのびとした水田が広がり、その周りをぐるっと1周できる通路が囲んでいる。また左側は、屋上緑化された半円形の渡り廊下が通路に沿って回る。水田のあちらこちらに、頭に松と思しき植物を乗せた小岩が散在し、鳥おどしが設置されている。1本の縦竿の頭から四方に綱を張り、そこに音子をいくつもぶら下げたもので、風に揺れて、また綱の端を引っ張ればカラカラと音が出る。
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 メインショップを抜けた右側の廊下状の建物の下には、カステラを中心とするショップとカフェがある。その右手には本社ビル。焦茶色の金属葺きの三角屋根が伸びて、左端には楕円形ドーム状の展望台。上部に開けられた窓から見学者とおぼしき若者たちの姿が見えた。一緒に入りたかった。三角屋根には大きな松の木が屋根を破って伸びている。また軒を支える柱もメインショップの庇と同じく曲がった柱。
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 円形の通路に沿って水田の周りを歩く。2/3周、左から歩けば1/3周ほど歩いたところに、ジブリの世界に出てきそうな薄茶色のモニュメントが置かれている。小さな入口が付けられ、そこをくぐったりしてみんなが写真を撮っていた。モニュメントの上には棟芝が植えられている。その向こうに渡り廊下。下に入って見上げると、しっくいの白と木の茶色のコントラストが美しい屋根裏。力強い自然木の柱が並んでいる。
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 渡り廊下の下をメインショップに向かって歩くと、右手に金属製のかまぼこ型の建物が見える。こちらはフードガレージ。2階建てロンドンバスや古びたシトロエントラックなどが置かれ、マカロンなどの洋菓子を置いている。その手前のフードコートに面して対面式のショップもあり、多くの客が楽しんでいた。また、ベーカリーの上は屋上デッキになっている。
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 ぐるっと一周戻ってきて、もう一度、メインショップへ。2階のカフェで中庭の全景を見ながらコーヒーを啜る。気持ちのいいひと時。風が吹き渡り、鳥おどしがカタカタとなった。いつまでもいたい気分だ。それでも今日のメインはコストコ。1時間半ばかり楽しんで次へ向かった。「びわ湖バレイ・びわ湖テラス」と並んで、今、滋賀県で最もホットな観光スポットの一つだと聞くが、確かにそれだけの魅力を持っている。そしてその豊かな環境は藤森照信の夢の力とコラボして、気持ちのいい風の中にある。