日本語の建築

 先に「『建築』で日本を変える」を読んだ。それは伊東豊雄に対するインタビューをまとめて本にしたものだった。本書を購入してから、これも同様にインタビューをまとめたものだということに気が付いた。それで同じようなことが書かれていたらどうしようかと、少し反省した。結果的には、前著は、岐阜メディアコスモス信濃毎日松本本社などの建築作品を中心に語っているのに対して、本書はそうした部分がありつつも、伊東氏の最近の建築思想を語ったものとなっている。
 中でも、新国立競技場コンペへの思いが語られた「新国立競技場三連敗」は興味深い。東日本大震災後に建築した「みんなの家」やまちづくり提案の挫折の経験、大三島での取組などを核として、モダニズム建築や責任者不在の問題、公共建築の管理の壁など批判する。そして、「建築をつくることそのものがコミュニケーションでありコミュニティだ」と言う。そのことには私も大いに共感する。理解できる。
 これらのメインストリームの間に、東京やインドや日本語が語られる。そして本書のタイトルも第5章の「『日本語』という空間から考える」から採られているが、本書全体からすれば枝葉の部分のように思える。タイトルは内容に比してミスマッチ。でも、内容的には最近の伊東氏の考えがよくわかり、心地よい。奥さんが旅立たれ、独り身だということも知った。だから大三島に行けるのかな。最近の伊東氏には風のように自由で、日なたのような温かさに溢れている。

日本語の建築 (PHP新書)

日本語の建築 (PHP新書)

○巨大な防潮堤を成立させている「安全・安心」という壁こそが、じつは最も堅固な壁なのです。しかもこの壁は必ずしも目に見えないけれども我々の周りの至るところに立ちはだかっています。なぜなら「安全・安心」の壁は「管理」という壁と同義語だからです。・・・「安全・安心」という大義のもとで人を守ってくれるはずの壁が、人と人を隔て、人を孤独に陥れているとすれば、こんな壁は大問題で、障壁でしかありません。(P4)
○責任者とはすなわち、管理する側です。その管理者の顔が見えない。それはなぜかといえば、問題があった時に責任をとらなければならないからです。・・・私は、やはり誰かが顔を見せて「私が責任をもつから一緒にがんばりましょう」と言ってくれること、それしかないと思います。今までの経験からいっても、クライアント側に誰かそういう人が一人でもいれば、必ずいい建築ができるのです。(P51)
仮設住宅が極小の家だとすれば、「みんなの家」は極小の公共空間、公共建築の最もプリミティブな形とも考えられます。・・・いわば「みんなの家」は、モダニズム建築を超えるための一つの試みなのです。仮設住宅モダニズム建築の究極の形だとしたら・・・そこを超えていくためには、一度、最もプリミティブなところまで立ち返り、新たに建築を組み上げていくしかないと思ったのです。(P65)
○透明なチューブ状の柱・・・が建ち上がっていくにつれて、役所の方も施工会社の方も、反応が変わってきました。「今まで見たこともない、新しいものを自分たちはつくっているんだ」という、自負心にも似た気持ちを抱いてくれるようになったのです。つまり、つくることを共有できるようになりました。私はこのプロセスから、建築は、コミュニケーションの場を提供するのではなく、建築をつくることそのものがコミュニケーションであり、そこにコミュニティ空間があるのだということを考えるようになりました。(P91)
○建築とは、一言にすれば「人の集まるところをつくる」ということです。ただ、いくら・・・コミュニティを形成する空間はここだと・・・机上で考えていても人は集まりません。だからこそ、建築塾の塾生が大三島に行き、そこで実践的に、人間関係を少しずつつくろうとすることには大きな意義があります。・・・このことは・・・「つくることがコミュニケーションだ」ということを、より明確に表していると思います。プロセスにこそ、交流が生じ、コミュニティが生まれるのです。(P173)

賃貸マンションの一棟リノベーション

 先日、住友林業(株)が展開する一棟リノベーション分譲事業を見学する機会があった。住友林業では「フォレスティア」というブランド名をつけて全国展開を始めている。見学したのは愛知県長久手市の「フォレスティア藤が丘」。地下鉄東山線終点の藤が丘駅から徒歩14分、リニモのはなみずき駅からは徒歩8分。2012年に市制に移行してからも順調に人口が増え続ける長久手市の中では、好立地といえる場所にある。もとは総戸数46戸、築20年、RC造7階建ての賃貸マンションを一棟ごと買い取って、共用部をリノベーションするとともに、空き住戸が出るごとにリノベーションして分譲をしている。分譲開始から約1年10ヶ月、概ね半数の住戸は既に分譲済みで、現在は賃貸住戸と分譲住戸が混在している状況にある。
 分譲価格は同立地・同規模の新築マンションの約8割を目安に価格設定をしているそうだが、この分譲マンションの最大の売りは、共用部を豊かな共用空間としてリノベーションしている点にある。最近では中古マンションの住戸を購入してリノベーションしたり、業者がリノベーションしたマンション住戸の分譲も増えているが、この場合、共用部分に手をつけることはほとんどない。この事業では、一棟購入した後に、まず共用部のリノベーションを行い、それから住戸の分譲を行うので、共用部が新築マンションと変わらない設備や外観となっている。
 この「フォレスティア藤が丘」の場合も、玄関をオートロックにして、宅配ボックスを設置するとともに、玄関横の自転車置き場は地域の方との待ち合わせにも利用できるアズマヤに改修。また1階の1住戸はチャノマラウンジと称して居住者が自由に利用できる共有スペースとしている。さらに住棟南側の屋外空間はフェンスを作って外部からは侵入できないようにした上で、実の生る木や花壇、ヒューム管を埋めた秘密の横穴まである、起伏に富んだ「ハグくみの庭」として整備している。また駐車場の一角にはカーシェアリングも1台ある。
 分譲を始めるにあたっては管理組合を設置し、管理規約や修繕計画も整備した上で販売を開始している。基本は内装を終えた上での分譲だが、間取りや内装のフリーセレクト・フリープランにも対応。場合によっては、内装工事は購入者が実施するスケルトン分譲も可能としている。これまでの事業では、概ね3~4年で売り抜けることが多いが、その間、賃貸住宅の入居者には、住友林業が貸主となって基本的にはこれまでと同条件で入居が継続できるようにしている。ちなみに共用部リノベーションと合わせて、賃貸住戸も手すりやドアホンなどを設置させてもらうこともある。全戸分譲後は住友林業としては権利がなくなるが、関連会社が管理会社として関わっていくことが多い。自治会活動については入居者にまかせている。
 事業的に最も気になるのは、どうやってこうした賃貸マンションを入手するのかという点だが、相続対策として建設したが、次第に空き家も増え、オーナーも高齢化する一方、子供たちには「相続したくない」と言われ、処分を考えている賃貸マンションがけっこうあると言う。また社宅を購入する例もある。購入物件は新耐震基準以降の建物に限っており、劣化状況の調査も第3者機関により徹底して行うと(一応)言っていた。ちなみに分譲住宅は必ず既存住宅売買瑕疵保険の加入する他、物件によっては既存住宅性能表示や適合リノベーションR1住宅の取得も行う。
 賃貸マンションや社宅の購入は入札になることもあるが、新築マンションメーカーと競えば、価格的に勝てることが多い。それよりもこうした仕組みを従前のオーナーに理解してもらうことの方が大変だったようで、いくつか先行事例を作ってようやくここ2年ほどでシステムが順調に回りだしたと言われた。ちなみに最近は同様の事業に取り組む住宅事業者等もあるが、場合によってはこうした業者相手にコンサルタント業務も行っているとのこと。
 実際に見学させてもらうと、共用部分のリノベーションが大きなアドバンテージになっていることがわかる。たまたま3戸、リノベーションが完了して分譲中だったが、かつては同じ間取り、同じ面積だったとは思えないほど、バラエティに富んだ間取り・内装となっている。賃貸住宅時のリノベーション前の住宅も見せてもらったが、普通によくある住戸でこのままでも何の問題もない。また、既存の内装をすべて取り払ったスケルトン状態の住戸も見学させてもらった。たまたま最上階の住戸だったが、小屋裏を利用してロフトもできるかもと想像力を膨らませる。通常、来場者にはリノベーション済みの完成住戸とスケルトン住戸を見てもらうとのことだが、自由に間取りや内装を想像できるというのは、先日読んだ「ひらかれる建築」の「第三世代の民主化」を思わせる。
 既に住宅数では充足し、空き家が多く発生する中で、既存住宅を活用し、かつ入居者には新築と何ら変わらない質の住宅を提供するこの事業は、まさに時代の要請に応えた意義のある事業だと感じた。今後のさらなる展開を期待したい。
 一方、管理組合を適正に設置するとはいえ、区分所有マンションには将来的な不安も大きい。この事業で最も注目されるのは、共用部のリノベーションを行っているところだが、分譲マンションの共用部のリノベーションをいかに行うかはこれからの大きな課題となる。もちろん管理組合が適切に機能すればいいのだが、ある程度の規模の住宅事業者が経営的に取り組むことのできる仕組みを考えてみたい。この事業はそのための参考にならないだろうか。

ひらかれる建築

 2013年に松村先生は二つの本、「箱の産業」「建築―新しい仕事のかたち」を出している。本書はその続編として、これからの「建築」のあり方、方向を考察したもの。「民主化」をキーワードに、グロピウスなどが、庶民が健康で快適に住むことができる住宅のプロトタイプを提案した第一世代の民主化。セルフビルドやDIYなど、住み手が主体的かつ自由に住宅を建築・選択できるよう、工業化・商品化が進められた第二世代の民主化。そして、箱としての住宅が充足した現在は、その箱を生かして、その中に新たな暮らしの形を創造する第三世代の民主化だと時代区分する。
 松村先生は私とほぼ同年代で、建築家の仕事にあこがれ、ハウスメーカーの活躍をながめて年を重ね、そして今、若い世代のリノベーションなどの活動を驚きの目で見ている。定年退職を間近に控え、建築の専門家として食べてきたこれまでを振り返り、これからどうやって生きていこうかと考える。自分の職能は何だったのか、これからの時代、役に立つのか。第三世代の民主化の時代、建築専門家の役割はどこにあるのか、と。
 本書では、これまでの2冊と違い、第一世代、第二世代の民主化についても、その歴史や内容を振り返り、その意味を考察している。例えば、鉄筋コンクリート造や鋼構造の発明が第一世代の民主化に果たした役割について。中でも、釘の量産が木造建築技術の発展、ツーバイフォー構法の出現に果たした役割については興味を惹いた。また第二世代では、ハブラーケンの「サポート」と「インフィル」という提案とこれを踏まえたプレハブ住宅の誕生。中でも、サポート(躯体)ではなく、インフィルの工業化により、住み手の参加が成立するという考え方は興味深い。そして、20世紀初頭から始まったカタログハウスとセルフビルド・DIYの動き。だが日本では、畳の存在が第二世代の民主化が展開される下地として既に存在した。その上でのプレハブメーカーによる生産情報化による生産性の飛躍的な向上、在来工法住宅におけるプレカットシステムの席捲。これらにより、第二世代の民主化は日本において当たり前のものとして隆盛した。
 第三世代の民主化は今後さらに深化していくとして、問題は、第二世代の民主化、第一世代の民主化は今後どうなっていくかだ。筆者の言葉を使えば、タテモノとケンチクの未来はどうなるかということである。本書の末尾は「ケンチクとタテモノの間で迷っていた私も、本書を書き上げて漸くケンチクからのタテモノからも卒業できそうだ」(P218)という文章で締めくくられるが、東大の先生は退職しても食べていけるだろうから卒業しても別に困らないだろうが、一般の建築専門家はそうはいかない。最終節に、「そうした先駆例から成功の要素のようなものを抽出して、何かシステムというか仕組みにしないと、市場は広がっていきませんよね?」と言われて「残念ながらわかっていないとしか言いようがない」(P213)とする文章がある。市場を広げるべきかどうかは議論があるとして、たぶんそうしたシステムを考案する事業者が出現し、一定の成功を収めるだろうことは想像に難くない。我々、一般の建築専門家はそうしたシステムの中で食べていくことになるのかもしれない。「仮にそうできたとしても、そうした途端に第三世代の民主化は後退し、その意義は薄れるだろう」(P213)と書いているが、みんながみんなデモの最前線にいるのではなく、ほとんどは民主主義と言われる社会に住んでいるだけで、本当の意味での民主主義など実践していないのが世の常ではないか。
 そう、「民主化」をキーワードとすることには、最後まで違和感があった。住まい手目線、生活者主義という程度ではないのかなと思う。でも、松村先生の気持ちは同年代としてよくわかる。そんな思いを抱きながら通読した。

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

ひらかれる建築: 「民主化」の作法 (ちくま新書 1214)

○マスカスタマイゼーションが進行する中で、日本中の営業マンは個別の住み手に対応する能力を自然と磨いてきたはずである。・・・日本に一体どれほど多様な住み手がいて、どれほど多様な住まいづくりの動機があり、それにまつわる悩みや喜びがあるかという、具体的でリアルな話の数々である。・・・これからの時代を考えた時、マスカスタマイゼーションの時代に鍛えられた日本中の営業マンの能力は大きな資源になるのではないだろうか。(P132)
○リノベーションの核になる構想自体は・・・まちでの暮らしや仕事についてのそれである。生活者としてのイメージの膨らみや、事業としてのリアリティに対する感性がなければ、リノベーションの構想は面白くもならないし、実現可能性も高まらない。しかも、新築と違って、手掛かりになる建物は既にある。建築の専門家でなくても、いくらでも取掛りが見つけられる。/リノベーションに見られるこの現象は、専門家の内に閉じがちであった建築の世界が生活者に向けて開いていく現象として捉えられ(P170)
○健康で近代的な暮らしがおくれるような建物=「箱」を人々に届けるために・・・量産技術で遍く実現することを目指して専門家たちが邁進した第一世代の民主化。・・・人々の個性や「箱」の置かれる地域の特性等を考慮の対象とすることの重要性を認識し・・・市場の変化に適応することを目指した第二世代の民主化。そして・・・それぞれの人が、自身の生き方を豊かに展開する「場」創りに利用する第三世界民主化が始まっている。・・・第三世代の民主化が前の二世代と根本的に異なるのは・・・そこでの主体は専門家ではなく生活者になるということであろう。(P182)
○「箱の産業」の時代の民主化の本質に近いところには、近代的な個の確立への志向があ・・・った。しかし、個に対応する空間や制度が行き渡り、うっかりすると個が「孤」に陥るような環境下にある今日の人々にとって、・・・そこに民主化の本質はない。むしろ・・・公空間と私空間の間に位置する共空間(コモン)とそれに対応する人間同士の関係(コミュニティ)を、それぞれの人がいかに創造的に生み出せるかが、民主化の核心に位置する問題になると思われる。そしてここには、空間の問題を扱ってきた建築専門家の転身の上での役割が見出せるようにも思える。(P216)